「皆さんの努力が実ったよ」 被団協ノーベル平和賞、代表委員の田中熙巳さん演説
「核なき世界へ話し合いを」。被爆の実相を長年伝えてきた日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が10日、ノーベル平和賞を授賞され、代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が核廃絶に向けたメッセージを発信した。来年で原爆投下、終戦から80年。被爆者運動を続けて志半ばで逝った先人たち、広島や長崎にいる全ての被爆者への思いを込めた。 「人類が核兵器で自滅することのないように。核兵器も戦争もない世界を求めて共に頑張りましょう」。田中さんが力強く呼び掛けると、会場のオスロ市庁舎は割れんばかりの拍手に包まれた。 田中さんは13歳だった昭和20年8月9日、長崎の爆心地から3・2キロの自宅で被爆した。演説では祖父や伯母ら親族5人を亡くし、自ら荼毘(だび)に付したことにも触れ、「人間の死とはとても言えないありさま。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」と語った。 終戦後、東北大の工学系研究者として移り住んだ仙台で被爆者運動に参加したが、健康に問題のない自分が表立って活動するのは避け、「大変な方々のお手伝いがしたい」と裏方に徹した。 だが、一緒に世界を回った仲間が次々と亡くなると、自らも証言者として前面に立つように。平成27(2015)年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、被爆者を代表して米ニューヨークの国連本部で演説し、「核兵器廃絶をもう待てない」と各国に迫った。 被団協の事務局長を2度にわたり計20年務め、平成29年に代表委員に就任。今回の受賞で被団協の長年の核廃絶活動が改めて世界に認められる形となったが、過去には有力候補とされながら受賞を逃したこともあった。「被団協はもう(ノーベル平和賞を)もらえないだろうとあきらめていた」と本心も明かす。 授賞式で演説した約20分の原稿は、10月11日の受賞決定後、1カ月ほどかけて完成させた。世界中に注目される舞台で、被爆者として何を伝えるか。一番に浮かんだのは、昭和31年の被団協設立以降、核なき世界の実現を目指しながら、道半ばで亡くなった先人や仲間らの顔だった。 国連軍縮総会など世界を舞台に多くの先人らが核廃絶を訴えてきた。こうした被団協の歴史や活動に触れた上で、「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです」と訴えた。