「夢や目標はない」と語る奥田民生が30年間ソロ活動を続けてきた理由
「人と違う何かができますよ」というアピールはしてきた
こうしていろいろ伺っていると、奥田民生という人はゆるいどころかむしろ何からも逃げず、目の前のことに真正面から向き合い全力で取り組んできた人のように思える。だからこそ何だかんだ、人生後半をこんなふうにいい感じに生きている(ように見える)のかもしれない。そこで最後に、自身の20、30代を振り返って、あのときこう生きたから今があるのかも、ということについて教えてもらった。 「本にも書いたんですけど、20代の頃はとにかく何も知らないから、もう勉強している感じしかしなくて。でも30歳でソロになって、いろんな人と一緒に仕事し始めたりしていくうちに、やっぱり『俺はこういうことができますよ』みたいなアピールもしなきゃいけないなと思って、実際『人と違う何かができますよ』というアピールをしてたと思うんですよ。 さっきお話しした、主流の横っちょを極める、みたいなことを含め。そんなことばかりしていたら、だんだんそういう感じの人だってまわりが認識するようになって。そうしたら今度はまわりのほうが勝手に、奥田はこういうヤツだって思ってくれるから。そうしたらもうわりと、こっちはあんまり考えなくていいんですよね。だからこの後の人生は、本当に何も考えなくてたぶんいい気がしているんですよ(笑)」 「そういう準備はずっとしてきたかもしれない」と振り返った奥田さん。その軸だけはブレなかった、と。 「要するに僕は曲を作るのが一番の仕事なんで、『こういう曲が流行っているということは……』みたいな、本当にそういうことばかり考えていましたね。そこはブレなかった。そうすると変な競争意識も生まれないわけですよ。あっちのほうが上だと、こっちははなから認識してやっていますから。 まあ何ていうのか、プライドみたいなものがないんです。だって芸術なんて、幼稚園児のほうがすごいときはどうしたってあるわけで。どんなに修行しても勝てない部分はあるから。もちろん全部じゃないですけど、部分なんですけど、僕はそこが一番大事だと思っていて。だから逆に言うと、どんなに売れていてもその“部分”がない曲はいい曲だと思えなくて。だから、そうじゃないものをやりたくなるというか」 当たり前だが、ゆるくいい感じのバランスで生きるというのは、一朝一夕にたどり着ける生き方ではないということ。インタビューを通じて、そのことをあらためて痛感させられた印象だ。 「そうですよ、奥田民生になるの、大変なんですよ。挫折しているんですよ。だからしっかりお伝えしといてください。弟子入りしたいとか来られたらホント困るんで(笑)」 奥田民生 1965年5月12日、広島県生まれ。1987年、ロックバンド「ユニコーン」でデビュー。『大迷惑』『働く男』『すばらしい日々』など数々のヒット曲を世に送り出す。93年に解散。94年からソロ活動を本格的に開始。以降、『愛のために』『イージュー☆ライダー』『さすらい』など数多くのヒット曲をリリース。またPUFFY、木村カエラのプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、多方面で活動。2009年、ユニコーン再始動。ソロとしては2024年10月に活動30周年を迎えた。
山本 奈緒子(フリーライター)