<パリ五輪女子ボクシングの性別疑義騒動>IOCとIBAの「政争の具」に巻き込まれる選手、社会変容に適した冷静なルール議論を
激化するIBAとIOCの対立
IBAは準々決勝後の5日には記者会見を開き、失格の根拠は、性染色体検査によるものだと発表した。IBAのクレムレフ会長(ロシア)は、2選手のテストステロン値が男性並みに高いとして「男性」と断言し、IOCに対して「競技を破壊している」と糾弾した。 一方で、IBAは主張の根拠となるデータを「公開できない」とし、IOCが主張する「検査が信用できない」との批判に科学的な根拠に基づいた反論はできていない。 海外メディアによると、IOCのマーク・アダムズ報道官は「このアスリートたちは何年も前から何度も競技に参加していて、今になっていきなり現れたわけではない。東京五輪にも出場していた」と指摘した。実際、2選手がメダルを獲得できなかったこともあり、東京五輪では今回のような騒動は起こらなかった。一方で、IOCは、女性ボクサーでテストステロン値が高めの選手が多いことを根拠に、五輪前にこの検査を行っていなかった。 一連のやり取りから見えるのは、IOCとIBAの激しい対立構造だ。IBAが5日の会見で「IOCのバッハ会長は、あらゆる汚職の源にいる」などと語ったことにも、IOCは「IBAの記者会見の内容が、この組織とその信頼性について知るべき全てを物語っている」と非難する。さらに、28年ロサンゼルス五輪でボクシング競技を採用するために新しい国際統括団体が必要との認識を示す。
ここには、ロシアが主導するIBAと、今回の五輪でもロシアを国としては出場を認めないIOCという国際関係の構図も見え隠れする。こうした状況下で、2選手の性別が「政争の具」として扱われているように映る。
犠牲となる選手たち
インターネット上では、一連の経緯からケリフ選手らへの誹謗中傷が後を絶たない。外見を揶揄し、強さの要因を「性別」に求めた無責任な投稿にあふれる。性自認が身体的性と一致しないトランスジェンダーと誤解した投稿も目立ち、IBAの主張に沿う形で、2選手の染色体が一般と異なる「性分化疾患」との前提に立った議論も巻き起こる。 こうした事態に、ケリフ選手は五輪期間中、メンタルヘルスを担うチームからSNSの閲覧を禁止されているという。台湾のオリンピック委員会も法的措置を辞さない構えでIBAに警告書を出した。 2選手の身に起きた誹謗中傷や、組織を巻き込んだ非難の応酬は、アスリートの立場を超えた大きな犠牲を払うことになった。ケリフ選手に敗れたカリニ選手はその後、イタリアメディアに対して、「この論争のすべてが悲しくなった。対戦相手(ケリフ選手)にも申し訳ない。IOCが試合に出られると言ったのなら、その決定を尊重するだけ」と謝罪の意を示していた。 社会の変容は、性別を含め、これまで想定していなかった状況を考えていくことが求められる時代になっている。特にスポーツはルールや階級を定め、公平かつ公正で、安全面にも考慮した条件下で実施することを前提とする一方、すべての人が人種や性別などの差別なくスポーツをする権利を持っている。 生物学的な性別をめぐる「線引き」に、いま求められているのは感情論ではなく、医学的な見地も踏まえた慎重な議論ではないだろうか。
田中充