事実とフィクションの融合物、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』はこうして誕生した
自殺者の墓地
取り壊されて今は面影もないが、病から全快したブラムが好んで散歩した場所がある。自宅近くの十字路脇にあり、”SUICIDE PLOT”と呼ばれた自殺者の墓地だ。 自殺が神への大罪だった昔、十字路は自殺者のような不幸な魂がさ迷う場所とされた。悪霊の力を封じるため埋葬時には、自殺者の心臓に尖った杭が打ち込まれ、これは1823年の法律改正まで続く。当時の人々は悪霊を恐れ、遠回りをしてでもその墓地を避けたが、幼いブラムはそこで、迷える魂に思いを馳せながら、幻想の世界に浸っていたのであった。
不思議な夢の暗示
ブラムは劇場支配人・小説家に転身するまで、ダブリン城で官吏として働いた。彼は勤務時代、繰り返し見る首のない骸骨の悪夢に悩まされたが、実は彼が生前には知り得なかった興味深い事実がある。 2003年、城のすぐそばで8世紀のヴァイキング戦士の骸骨が発掘され、2020年9月には、これまた城のそばで9世紀～10世紀のヴァイキングの子供の骸骨が掘り出された。 ダブリン城は10世紀にヴァイキングの砦があった場所に1204年に建てられている。城は一部を除き、殆どが18世紀までに増改築されたが、地下の土台や堀は建設当時のままだ。そのため現在に至るまで、城の地下や付近一帯からは遺骨も含めヴァイキング時代～中世時代の物が多く発掘されている。 何世紀も埋葬されていた遺骨と、ブラムが見ていた悪夢との間には、何か因縁めいたものがあるのだろうか。
ドラキュラと歯周病
観光ガイドがこんな話をしてくれた。 アイルランドの冬は長い。娯楽が少なかった時代、冬の夜の過ごし方はパブか、暖炉端で集まっての怪談話だった。そんなある夜、怪談話に興じていたブラムは背筋が凍る体験をすることになる。 ブラムが生きていた19世紀から20世紀初頭、歯科医療は未熟な時代で、多くのアイルランド人が歯周病を患っていた。これに罹ると歯茎が後退し歯が長く見える。しかも歯茎からの出血で、口元は血を飲んだように見えた。そんな人が怪談を語る様子にブラムは震えあがり、そこから浮かび上がってきたイメージが、長い歯で血を吸う吸血鬼だった。 一方で、笑えるのはこれかもしれない。酒好きのアイルランド人はパブで遅くまで酒を飲み、明け方に帰宅すると棺桶ならぬベッドに倒れ込む。充血した目でようやく目覚める頃には、もう日はとっぷりと暮れている。自国民のこんなライフスタイルが、日暮れと共に赤い目で棺桶から起き上がり、活動を始めるドラキュラのヒントになったというのだ。 こうしてみると、まさに『ドラキュラ』は、母から聞いた体験談や怪談、墓地での散歩、官吏時代の悪夢、アイルランドでの体験が融合された産物と言えるのではないか。そしてブラムはこの産物に、ルーマニア語で悪魔も意味するドラキュラという名を与えたのだ。
