緩やかに縮小するヤマダデンキ。再び「売上2兆円」を目指すも、人口減少や家電の低価格化に抗えず
経済本や決算書を読み漁ることが趣味のマネーライター・山口伸です。『日刊SPA!』では「かゆい所に手が届く」ような企業分析記事を担当しています。さて、今回は株式会社ヤマダホールディングスの業績について紹介したいと思います。 1973年に街の電気屋として創業したヤマダ電機(現:ヤマダデンキ)は群馬を中心に勢力を拡大し、90年代には全国展開を進めました。2001年には量販店業界でトップの座につき、現在に至るまで首位を維持し続けています。しかしながら、かつて2兆円を超えていた売上高は1.6兆円にまで縮小し、家電需要の減少と地方衰退の煽りを受けています。非家電事業の強化で売上2兆円の復活を狙うも、目標にはほど遠いようです。
「街の電気屋」からチェーン展開へ
ヤマダデンキは日本ビクター出身の山田昇氏が1973年に前橋市で開業した街の電気屋「ヤマダ電化サービス」から始まりました。店舗展開を進めて5年後には5店舗・年商6億円の規模となり、北関東を中心に勢力を拡大します。80年代には栃木地盤のコジマ、茨城地盤のケーズデンキとともに「北関東YKK」と呼ばれるようになりました。87年には総合家電店舗の「テックランド」1号店を本社ビルの1階に開店しました。 1992年に大規模小売店舗法(大店法)が改正されたことで500㎡以上の出店が容易になると、全国展開を強化し、九州・東北・中京・近畿と各地に進出しました。97年に売上高1,000億円を達成し、2000年には東証一部への上場を果たしました。
大規模店で他の量販店を駆逐
2000年に大店法が廃止され、大店立地法が制定されると大規模店の出店が容易となりました。2001年にコジマを抜いて業界トップとなったヤマダデンキは売場面積3千平米台の店舗を次々に出店し、2005年には売上高1兆円を記録します。 ヤマダの大型店は他の量販店が衰退する要因となりました。90年代に勢力を伸ばしたコジマは法律に縛られた500平米級の店舗が多く、品揃えでヤマダに勝てませんでした。同様に首都圏の駅前で勢力を伸ばしていたラオックスやサトームセンなどの秋葉原系量販店もヤマダの台頭で駆逐されました。 その後も勢力を伸ばして2010年には売上高2兆円を突破、2011年3月期の売上高は過去最高の2兆1,533億円となりました。2010年度の好調はエコポイント制度も影響しています。しかしその後は家電市場自体が縮小したため店舗数拡大は頭打ちとなり、現在では売上高1.6兆円規模にまで縮小しています。