19歳で退位「花山天皇」出家した“その後の人生” 兼家・道兼に騙され出家、退位に追い込まれた
どうも伊周が自分の好いた女性を花山院にとられたと勘違いし、弟の隆家とともに、法皇を襲撃することになったらしい。このとき、花山院のお目当ては藤原忯子の妹・四の君だった。ところが、伊周は「自分が好きな三の君のもとに花山院が通っている」と勘違いし、弟の隆家に相談。凶行に及ぶことになった。 伊周はこの「長徳の変」と呼ばれる事件をきっかけに失脚。ライバルが勝手に脱落したことで、道長の栄華が決定づけられることになった。
伊周もまたしょうもないことをしたものだが、出家してもなお、女好きの花山院の姿には「楽しそうでよかった」と、ほっとさせられるのは私だけであろうか。 『大鏡』では「風流者」と評されているように、花山院は、優れた和歌を詠み、絵画や建築、工芸、造園にも才を発揮した。 あるときは牛車を入れる車庫に着目。傾斜を設けることで、緊急時に人の手を借りることなく、牛車が「からからからと」自動的に出てくるしくみを考案したこともある。奇行ばかりが注目されがちだが、実は多才な人だった。
■花山院は41歳で生涯を閉じた そんな花山院の人生を、随筆家の白洲正子は『西国巡礼』で次のように表現している。 「たとえどんなに辛い一生でも、偽わりの出家を機縁として、王座を蓮座にかえて一念を完うされた院は、やはり希にみる幸福な人間といえよう」 晩年は菩提寺に隠棲していた花山院。寛弘5(1008)年2月8日、京都の花山院で崩御し、波乱に満ちた41歳の生涯を閉じた。 【参考文献】 山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館) 今井源衛『紫式部』(吉川弘文館) 倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書) 関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書) 繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房) 白洲正子『西国巡礼』 (講談社文芸文庫) 真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
真山 知幸 :著述家