高輪ゲートウェイ駅周辺の「再開発」 JR東日本のプレスリリースが抽象的でよくわからないので、自分なりに調べてみた件
「高輪ゲートウェイ」名の意図と背景
プレスリリースのなかには、次のような文言もある 「明治期の先人達が築いた近代化の礎は、イノベーションのDNAとして高度成長期を経た今も生き続けており、このプロジェクトを通して大きな旋律を奏で始めようとしております。(中略)まちづくりを進める中で出土した高輪築堤の保存と活用を通じて、日本で初めて鉄道が走った イノベーションの地としての記憶を、次の100年に継承していくことにより、地域の歴史的価値向上や「国際交流拠点・品川」の実現に努めていきます」 まず、プレスリリースで触れられている「高輪築堤(たかなわちくてい)」について説明したい。高輪築堤は、1872年(明治5)年に開業した日本初の鉄道、新橋~横浜間の一部として海上に築かれた鉄道の堤防だ。 この堤防は、当時の日本が急速に近代化するなかで、交通網の発展に大きな役割を果たした重要なプロジェクトであり、鉄道を海上に直接築堤して敷設するという革新的な技術が用いられた。まさに日本の近代化を象徴するものだ。 高輪築堤は明治時代の鉄道発展とともに、近代日本社会への移行を示す歴史的な証しとして評価されている。現在、その遺構は高輪ゲートウェイ駅周辺で発掘されており、再開発計画のなかで保存やVRを活用した再現が行われる予定である。この試みは、歴史的価値を生かしながら新たな文化的価値を生み出そうとするものだ。 なお、2020年に駅が開業した際、駅名の投票では「高輪」が最も多く支持されたが、最終的に採用された「高輪ゲートウェイ」は130位と少数派の意見だった。この決定にはさまざまな意見があった。「ゲートウェイ」という言葉は直訳すると 「入り口」 だが、ここでは少し異なる意味で使われている。地理学者・林上(のぼる)の著書『ゲートウェイの地理学』(風媒社、2020年)では、ゲートウェイを 「性質の異なる2つの世界を限定的に結び付け連絡し合う場所」 と説明している。ここでいうゲートウェイは、物流や人流、さらには文化が交わる交通の結節点を指しており、現在の開発の目指すところはまさにこの意味だろう。高輪築堤の歴史をそのなかに織り込むことで、新たな価値が生まれるというイメージが強調されているわけだ。