中日“ドラ1”金丸夢斗「苦しい時こそ堂々と」父の教えを胸に夢のプロ入り 日本一の投手目指す背番号21の覚悟
◇新時代の旗手2025~金丸夢斗(下) 金丸は「覚悟」という言葉が好きだ。「本気でプロを目指したとき、絶対に何かを変えないといけない。遊ぶ時間をトレーニングやリカバリーにあてる。普通の人ができることを削る。犠牲には覚悟が必要」。高校と大学の先輩で元阪急の山口高志さんとの縁があり、関大の門をたたいた。 ◆金丸夢斗ら中日ルーキートリオ、緊張のラジオ生出演【写真複数】 山口さんは1970年代の阪急黄金期を支えた剛球右腕。兵庫・市神港高3年時は春夏連続でチームを甲子園出場に導いた。関大では通算最多46勝など多くの記録を保持しており、現在はアドバイザリースタッフとして指導にあたる。偉大な先輩の助言は金丸の心と体にスッと入っていった。 「体を大きく見せよう。ワインドアップをやってみよう」。試してこなかった投球フォームに挑戦してみると、体重移動がスムーズになった。2年春の関西学生春季リーグ・同志社大戦では4安打17奪三振で完封。すでに直球は150キロを超えていた。 「山口さんに出会えたことが大きかった。故障しても自分で考えながら成長できました」。3年春に膝を痛めてからは練習方法を一新。ウエートトレーニングを休止し、腹圧を鍛えることから見直した。練習中、口にくわえるのはストロー。逆立ちなどいろんな姿勢でストローから吸って鼻で吐く呼吸を繰り返す。 「ストローで吸うと、(空気が)入ってこなくて力んでしまう。肩が上がらないように効率よく吸おうと意識したら、横隔膜や肺が鍛えられました」。“呼吸トレ”を投球練習前に欠かさず行い安定感が生まれた。最速を154キロに伸ばすと、そこからは常に注目の的となった。今年3月には野球日本代表「侍ジャパン」の強化試合・欧州代表戦で圧巻のトップチームデビュー。セ・リーグ4球団競合の末、竜と運命の糸がつながった。 父親の雄一さん(48)は、今夏を最後に甲子園大会の審判員を引退。来年からプロで活躍する息子の姿を目に焼き付けるためだ。小学4年時、味方のエラーでいら立ちを隠せなかった金丸は帰宅後、父に厳しく注意された。「ミスをしたら、それを取り返せる投手になってほしいんだ」。父から教わった立ち振る舞い。「苦しい時こそ堂々とする。プロの世界でもチームメートに良い影響を与えられる投手になりたいです」。泣き虫だった左腕はもういない。 プロ入りという夢をかなえ、いよいよ旅立つ。「ここまでずっと野球でつながっていた。いきなり実家からいなくなってしまうので、泣きそうです」と雄一さん。母親の淳子さん(47)に息子が伝えた言葉がある。「お父さんを頼むで」。竜の背番号21を背負って目指すは日本一の投手。覚悟で道を切り開いていく。
中日スポーツ