まさに『温故知新』、先人が残した『匠の技』を思い出せ! 昭和の時代はファウルを打ち続けることで好投手を攻略した【堀内恒夫の悪太郎の遺言状】
球数多く投げさせることに徹する自らの役割に揺るがぬ信念を貫く!
現代のプロ野球にかつての高木のような粘り強いファウル打ちの名人がいれば、先発投手はすぐにへばってしまうだろう
俺が現役だった昭和の時代には、ピッチャーにとっては本当に嫌なタイプのバッターがたくさんいた。もう、打席に迎えただけで嫌な気分にさせられたからね。 俺は現役時代に体の小さいバッターを苦手としていた。コツン、コツンとヒットを狙いにくるタイプだね。その反対に大振りしてくるような体の大きいバッターには強かったんだ。 体の小さいバッターは体の大きいバッターと比べて、ストライクゾーンが小さいじゃないか。だから、本当に投げにくかった。 その象徴的存在が中日の高木守道さんだね。高木さんはいつもホームベースに近いところで立っていた。ベースの近くに立つから「インコースは強いだろう」と思って反対のアウトコースへ投げると、カットされてしまう。 インコースもアウトコースもファウルにされると、球数も増えるから、いつの間にかボールが甘く入って、痛打されるケースが多くなる。だから、もうお手上げだったね。 実は俺、現役時代に高木さんには顔や頭に3度も死球をぶつけている。しかも、俺が入団1年目の1966年に最初にぶつけたときには、その死球が原因で2週間近く試合を欠場させてしまった。死球禍の後遺症で本来の調子を取り戻せずに、それまで3割4分くらいあった打率が、終わってみたら3割ちょうどくらいまでに落ち込んでいた(打率.306)。 俺からぶつけられるまでは2年続けて打率3割台をマークしていた高木さんだけど・・・
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週刊ベースボール