くまだまさしがコロナ禍で経験した初めての挫折と乗り越えた家族の絆「笑わないお客さんを見るのが初めてだった」
■妻の妊娠中、やれることはすべてやった ――そう考えるようになったのはなぜですか? 単純に家族が大好きだということと、もう1つ言えば妻は子宮内膜症の治療を受けていたので、子どもができないかもしれないと言われていたんですよね。不妊治療も受けていました。僕としてはできなくても仕方ないと思っていましたけど、実際に妊娠がわかったときには、奇跡みたいだと思いました。そういう経験があったからこそ、より一層家族を大事にする気持ちが強いのかもしれません。 ――奥さまの妊娠中はどんなふうにサポートされましたか? すさまじくやりました! 妊婦さんは軽めの運動をしたほうがいいみたいですけど、やり過ぎはだめですから。車で送り迎えするとか、荷物は持つとか、力仕事はすべて自分がやるとか、やれることはすべてやりました。 ――そんなに大事にされて、奥さまもうれしかったでしょうね。 それはわからないですが、「この人何もしてくれないな」とは思っていないはずです。「妻はなぜ、僕と結婚してくれたんだろう」とか、「娘はなぜ、くまだ家に生まれてきてくれたんだろう」とか考えると、その縁に感謝の気持ちがわくというか。特に妻には苦労や心配をかけてきましたから、今は恩返しをしなければ、という気持ちがあります。 ■コロナ禍ですべてを奪われたように感じた ――苦労や心配をかけたというのは? 一番苦労をかけたのは、実はわりと最近で、コロナ禍のときにうつ病になったんです。僕の勝手なイメージでは、うつって精神的に極端に落ち込むものだと思っていたんですけど、僕の場合はとてつもなく体にダメージがあって。歩けないし、動けないんです。 ――そのときのご家族はどうでしたか? 妻はあまり気にしないタイプで、内心はわからないですけど、笑ってくれていたんです。当時の僕は1m歩くのも大変で、変な歩き方になっちゃうんですけど、その姿を見て笑ってくれた。それが僕にはよかったんです。さすが、笑いがあるくまだ家だな、って。僕はパワー切れで笑わせることもしゃべることもできなかったですけど、「ありがとう」だけは伝えましたね。