ザックJ、柿谷のゴールの裏にあるもの
デビュー戦で1得点1アシスト――。やはり、この男は人とは違う何かを持っているのかもしれない。 かつてU-17日本代表のエースに君臨し、今季から、森島寛晃、香川真司、清武弘嗣と引き継がれたセレッソ大阪、栄光の「8」番を背負う柿谷曜一朗のことである。 待望の瞬間は、59分に訪れた。 青山敏弘のパスを受けた左サイドバックの槙野智章が縦に仕掛けてクロスを入れると、ニアサイドに飛び込んだ柿谷が、頭ですらしてゴールを奪った。 アシストした槙野が「試合前、どこにクロスを入れたらいい? って訊ねたら、GKとDFの間に入って行くのでニアに入れて下さいと言ってきた。その通りの形でしたね」と振り返れば、柿谷自身も「イメージ通りのボールが来たので、しっかり決めた」と胸を張る代表初ゴールで、日本は逆転に成功した。
圧巻だったのは、その2分後である。高萩洋次郎のフィードに反応した柿谷が、左サイドでボールを拾ってドリブルでゴール前に切れ込んでいく。ダイアゴナルに走り込んだ原口を囮に使ってさらに進入すると、慌てて寄せようとした中国のDFを嘲笑うかのように、今度は工藤壮人へのパスを選択。「点を取りたかったけど、DFが寄せてきたし、ボールもちょっとバウンドしていた。工藤が空いていたので、どうぞ、という感じで」出したパスを工藤が決めて、日本はリードを3点に広げた。 その3分後にも、青山のフィードで裏に抜け出し、決定機を迎えている。ドリブルが長くなり、シュートまで持ち込めなかったが、中国を慌てさせたのは間違いない。 それにしても前半、シュートを1本も打てなかった柿谷に、なぜ、チャンスが訪れるようになったのか――。そこに、この日の収穫もある。 ワールドカップまで、あと1年。この東アジアカップは、ザックジャパンにとって残り1年のスタートと位置付けられる大会だ。国際Aマッチデーに開催されるわけではないため、欧州組の招集が難しい。したがって日本サッカー協会は、国内組でチームを構成する方針を打ち出した。 ザッケローニ監督によって選出されたのは、代表キャップ数ゼロの選手15人を含む、これまでほとんど一緒にプレーしたことのない23人の選手だった。 大会に臨むにあたって指揮官は、「コンビネーションはそれほど期待できない。東アジアカップでは個の力を見極めたい」と語っている。 例えば、セレッソ大阪の柿谷と山口螢、扇原貴宏のセットや、FC東京の高橋秀人と森重真人、徳永悠平のセットを同時に起用しなかったのも、そのためだ。所属クラブのスタイルではなく、代表チームのスタイルを理解したうえで、個の力を発揮できるかどうかを見極める狙いがあった。 即席チームにとって痛恨だったのは、開始3分でいきなりPKを奪われ、先制されたことだろう。これで出端を挫かれた日本は、ただでさえ不慣れなスタイル、初顔合わせの顔ぶれのためぎこちないのに、より一層リズムを掴むのが難しくなった。 だが、立ち直るのに10分も掛からなかった。その頃から中国陣内に攻め込む機会が増えていく。青山がくさびのパスを打ち込み、柿谷がワンタッチでさばく。原口元気や高萩が裏を狙えば、工藤が右サイドからクロスを放り込んでいく。 わずか2日間で植え付けたザックスタイルも、思いのほかスムーズに実践された印象だ。ボランチが最終ラインに入ってサイドバックを押し上げるビルドアップ、前線から少しずつサイドに追い込んでいき、タッチライン際で囲い込むプレッシング、外に張っておいてから、中に潜り込むサイドハーフの動き方……。 約束事は確かに見て取れた。