質問「神も仏も同じ存在なのですか?」 - 我知(がち)ーお坊さんに聞いてみる(2024年11月20日)
【質問】「神仏習合」という言葉を学校の授業で習いました。神と仏はどうして一緒になったのですか。キリストもムハンマドも神と呼ばれていますが、同じ存在なのですか。よく分かりません。仏教の仏とはお釈迦様のことなのでしょうか。宗教の違いは死生観だと聞いたことがあります。仏教の教えはどのようなものか教えていただきたいです。(10代男性) 【回答】東條 哲圓(宝山寺執事長) 【我知なヒント=異文化を寛容に受け入れるのが日本人の精神性】 ご質問ありがとうございます。複数のご質問が混在しておりますが、少ない紙面の都合上、今回は「神仏習合」の考え方についてお答えしていきたいと思います。 日本人は、この世に生まれたら神社にお宮参りに行き、イエス・キリストの降誕を記念する祭であるクリスマスにはケーキを食べ、プレゼントを渡してお祝いし、お亡くなりになればお寺で葬儀をするといったように、一生のうちに異なる宗教に関わることが一般的です。むしろそれは慣習であって、宗教行事などと思っていない人の方が普通なのかもしれません。外国人から見たら、日本人のこのような風習は節操がないように思われ、とても奇異に映るそうです。
日本独自のこのような慣習は、日本人の持つ精神性の現れだと思われますが、「神仏習合」は、日本の宗教文化の特徴的な現象であり、神道と仏教が互いに融合し、共存してきた歴史的な背景を指します。 日本に仏教が伝わったのは6世紀ごろで、それ以降、神道の神々は仏教の仏や菩薩に対応され同一視されることが多く、両者は補い合う存在として千年以上にわたって敬われました。 例えば、日本神話における高天原の主神「天照大神(あまてらすおおかみ)」という太陽神は、仏教における「大日如来」という仏と結び付けられました。また16世紀に日本にキリスト教を伝えた宣教師たちは、日本人が受け入れやすいように、キリスト教で説かれる万物の創造主たる神(デウス)を「大日(ダイニチ)」と翻訳しました。ただし、宣教師たちはキリスト教の神と仏教の仏が同一視されることを危惧し、後に撤回しています。 「本地垂迹(ほんじすいじゃく)説」では、「本地」として仏教の仏や菩薩がその根本的な存在であり、神々が「垂迹」としてこの世に現れると考えます。つまり、神道の神々は仏教的な存在が神という仮のお姿で日本に現れ、神々が仏教の仏や菩薩と同じ本質を持つとされました。