「元々、政治家に向いていない」「中学時代に友達が離れていった過去」 元石破派が明かす、「石破首相に仲間ができない理由」
「去って行った人たちのことを少しは……」
計4度の総裁選への挑戦を経て、自ら立ち上げた派閥「水月会」(石破派)は空中分解。5度目の「最後の戦い」で彼を総裁の座に押し上げたのは、紛れもなくその「世論」であった。 また、石破氏が決選投票前の演説で、 「多くの足らざるところがあり、多くの方々の気持ちを傷つけた」 そう述べた上で、 「心からおわびを申し上げる」 と謝罪したことも土壇場での逆転勝利につながったとみられている。 「あの演説の“傷つけた人”というのは、石破さんを首相にするために支えながら、最終的には離れていってしまった人たちのことも指すのだと思います」 そう語るのは「水月会」に所属していた石崎徹元衆院議員である。 「石破先生は総裁選を5回戦いました。戦国時代に例えると、関ヶ原の戦いを5回やっているようなものですよ。4回の戦いで討ち死にした屍の山の上に、今回の勝利があったわけです。偉そうな言い方にはなってしまいますが、首相になられた今だからこそ、去って行ってしまった人たちのことを少しは思い返してほしいと思います」
「飲むと気さくで、嫌なところもない」
18年、当時の安倍首相との一騎打ちとなった総裁選の際、石崎氏は石破氏について全国を回った。 「私としてはあの総裁選は、鉄砲玉のような気持ちで戦ったつもりでした。そして、最強の軍隊に戦いを挑んでボロ負けした。その時、何十万人もいる選挙区の方々のことを考えると、非主流派として何度も戦争するのはちょっとキツいな、と。結果的に19年、石破派から抜けることになりました」 石破氏は月に1回は派閥に所属するメンバーと酒席を共にしていたという。 「人付き合いが悪い、と世間では言われますが、飲むと結構気さくですし、嫌なところもありません。若手メンバーと赤坂の焼肉屋で飲食した後、そのまま生放送のテレビ番組に出たこともある。それくらいお酒に強くて、飲んでも顔色を変えずに理路整然と話すことができるのです」(同)