<前人未到に挑む―センバツ東海大福岡>/中 飛躍のエース、大舞台見据え 松葉づえで入学 支えた先輩、コーチ /福岡
走塁練習でターンをしようとした瞬間、右足首に激痛が走った。「縦じまのユニホームがかっこいい」と憧れだった東海大福岡野球部への入部を控えた2022年3月中旬、佐藤翔斗投手(2年)は芦屋町にある母校で練習していた時にけがをした。翌日、病院では「右足のけい骨とひ骨の骨折。手術が必要」と伝えられた。 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 小学校5年生でソフトボールを始めた頃から投手を務め、高校入学前から次期エースとして期待されていた。しかし入学式は松葉づえ姿で迎え、「まずは治すことに専念しなければ」と冷静さを保とうとする一方、「同級生よりも遅れてしまう」と強い焦りも感じていた。 投手として練習できるようになったのは22年秋になってから。右足に入れたボルトを抜くため2度目の手術を経て、外野をただ歩いたりネットスローを繰り返したりするリハビリが続いた。まだ右足は思うようには動かなかった。 そんな佐藤投手を同じ投手として、23年7月に引退するまでの約10カ月間ずっと支えたのが一つ先輩の西村健さん(3年)だった。キャッチボールからランニング、トレーニングまで共にすることで高めあうパートナーとなった。スライダーを得意球にできたのも、球の握り方から腕の振り方まで丁寧に教えてくれたからだ。佐藤投手はいつも隣で支えてくれた西村さんについて「一緒だったからきついことも乗り越えられた」と話す。 コーチの安田大将(だいすけ)さん(24)の存在も大きい。17年のセンバツで甲子園のマウンドに立ち、8強に進んだ。技術面だけではなく、心の持ち方なども具体的に教えてくれるという。 そして23年夏、長く我慢の時を過ごした佐藤投手は大きく飛躍する。西村さんが主戦だった同年夏の福岡大会5回戦、福岡工戦で初完投。主戦となった同年秋の福岡大会では4回戦から決勝まで5試合を1人で投げ抜いて優勝。カウントに応じて直球と変化球を投げ分け、野手にも救われながら幾多のピンチをしのぎ、チームの大黒柱となった。 安田コーチは「気持ちも強いし、自覚もある。ここまで大成するとは思っていなかった」と振り返る。しかし、課題も山積するという。福岡大会はほぼ一人で投げきったが、佐藤投手は「23年秋の九州地区大会では強豪を相手に1回崩れた時の立ち直りや修正力が欠けていた。どんな相手でも一人で投げきって勝てる投手になりたい」と話す。身長187センチ、体重85キロの大器は自分自身を鼓舞しながら、大舞台のマウンドを見据える。【長岡健太郎】 〔福岡都市圏版〕