校歌も話題「やればできるは魔法の合いことば」ーーミラクル済美の原点
準決勝を前に当時野球部の部長を務めていた林憲道(現野球部顧問)氏は、宿舎の近くで上甲監督とカツカレーを食べながら、こんな提案をした。 「監督、合い言葉を決めましょうか」 色紙などを頼まれると「夢叶うまで挑戦」と書いた上甲監督だったが、このときはこう言ったという。 「いけいけどんどん!」 そして、こんな言葉が続いた。 「ガン! と打って、ガン! と投げて、ガン! と走れ」 念頭にあるのは、攻撃野球。しかも、“超”がつく。それは上甲監督が宇和島東で指揮を執っていた頃から一貫したスタイルであり、ヒットエンドランのサインでは、打者に長打を狙わせた。 「それで1点が入りますから」 ミラクルは必然。リスクを取ってそれを引き寄せた。 一方で、負け方も壮絶。あの年の夏、決勝に駒を進めた済美は、史上6校目の春夏連覇を狙って駒大苫小牧と対戦したが、ノーガードで打ち合った結果、10対13で散った。 さて、そんな野球を今、上甲監督を部長として支えた中矢太監督が引き継いでいるわけだが、踏襲しているのは攻撃野球だけではない。 矢野がサヨナラ満塁本塁打を放ったときのことである。彼は劇的な一打を放ちながら、飛び跳ねたり、腕を突き上げたりと、派手に喜ぶ素振りを一切見せなかった。淡々とベースを回った。 チームメートらも同様。本塁で迎えたのは塁上にいて、生還した走者だけ。ゲームセットとなって初めて、チームメートらは整列のため、フィールドに出てきた。そのときも、喜びを爆発させるような選手は見当たらなかった。 実は、こういう場面で上甲監督は、「まず、敗者を思いやれ」と教えてきた。派手に騒ぐことは、相手に敬意を欠く行為と強く戒めてきた。あの教えが、守られていたのである。 他界されてまもなく4年。それでも上甲イズムは、色褪せることなく、隅々まで継承されていた。 済美は今日16日、第3試合で高知商と対戦する。 (文責・丹羽政善/米国在住スポーツライター)