国内の2大巨頭、井上誠一と上田治! そして知る人ぞ知る設計家と名コースを振り返る【コース設計家・後編】
アリソンの影響を受けて自然の造形を生かした ●藤田欽哉(1889~1970) 大学卒業後にアメリカに留学。その後ニューヨークで貿易関係の仕事に就いていたが、この時代にゴルフに親しみ、帰国後に霞ヶ関CCの創設に関わった。 昭和4年に開場した霞ヶ関CC東は、会員により分担で設計されたが藤田が受け持ったのは6、8、16、17番ホールだった。 ちなみに東コースは来日中のアリソンにより改造勧告を受け、倶楽部はアリソンの申し出を快諾し改造を実施した。
藤田欽哉が設計した紫雲GC加治川C:日本海を望む海岸の松林にレイアウトされた加治川コースは、赤松でセパレートされ優れた景観を演出している。効果的に配されたバンカーなどにより戦略性も高く印象度は高い。 ◆主な設計コース:霞ヶ関CC東(1929・共同設計)、那須GC(1936)、千葉CC野田(1954)、伊豆国際CC(1961)、東松山CC(1963)など。
大地を削って変化に富ませ高い戦略性を力強く演出 ●上田治(1907~1978) 茨木中学の時、背泳ぎ100メートルで日本記録樹立。20歳で極東オリンピック上海大会に出場している。 京都大で林業、造園を学び恩師の勧めで在学中に廣野GCの造成現場に助手として参加し、完成後はグリーンキーパーとして働いた。 ベルリンオリンピックでは水泳の審判として参加し、競技後に9カ月にわたり欧米のコースを視察。この時に得た知識がコース設計につながったといえる。
上田治が設計した小野GC:設計者上田治は大きな鴨池を利用して18ホールをレイアウト。当然池が絡むホールは多いが、なかでもアウトの7、8、9番ホールは池越えとなる。特にグリーン手前にも池がある9番は、刻むか攻めるかの選択を迫る難ホール。 ◆主な設計コース:門司GC(1934)、大阪GC淡輪(1937)、森林公園G(1955)、古賀GC(1956)、下関GC(1956)、白浜GC(1956)、佐世保CC石盛岳(1957)、奈良国際GC(1957)、GDO茅ヶ崎GL(1957)、松山GC川内(1958 )、飛鳥CC(1959)、緑ケ丘CC守山(1959)、若松GC(1959)、箕面GC(1960)、茨木国際GC北(1960)、岐阜CC(1960)、宇部72CC阿知須(1960)、四日市CC(1960)、小野GC(1961)、よみうりCC(1961)、小倉CC(1961)、樽前CC南・中(1962)、茨城GC(1962)、米子G(1963)、広島CC八本松(1963)、出水GC(1963)、熊本中央CC(1963)、長良川CC(1963)、小郡CC東(1964)、新居浜CC(1964)、別府国際GC扇山(1964)、岐阜関CC(1964)、長崎国際GC(1964)、宇治CC(1965)、名四CC(1966)、武庫ノ台GC(1966)、橋本CC(1966)、長岡CC(1966)、奈良万葉CC(1967)、賢島CC(1969)、奈良CC五條(1969)、大山GC(1970)、小野東洋GC(1971)、有馬ロイヤルGC(1972)、塩嶺CC(1973)、花屋敷GCよかわ(1973)など。 ※週刊ゴルフダイジェスト2024年1月30日号「発表! 殿堂入りコース 設計者20名」より一部抜粋
週刊ゴルフダイジェスト