国内の2大巨頭、井上誠一と上田治! そして知る人ぞ知る設計家と名コースを振り返る【コース設計家・後編】
鳴尾浜にあったコースの移転に伴い、猪名川渓谷沿いの現在地にハリー・C・クレーンの設計で1930年10月に開場。31年に訪れたC・H・アリソンは4、10番を除く16ホールの改造を勧告している。 ジョー・E・クレーンは千刈CCなど、主に関西地区で24コースを手掛けた。 ◆主な設計コース:ハリー・C・クレーン/鳴尾GC(1930) ジョー・E・クレーン/垂水GC(1920)、岡山霞橋GC(1930)、花屋敷GC(1959)、泉南CC(1960)、西宮高原GC(1961)、三好CC(1961)、大熱海国際GC(1961)、さなげCC(1964)、宝塚高原GC(1964)、千刈CC(1965)、日本ダイヤモンドGC(1965)、日清都CC(1966)、月ヶ瀬CC(1967)、穂高CC(1972)、三田レークサイドCC(1973)、MGM MANIWA(1973)、富士C明智GC明智(1974)、るり渓GC(1975)、こんぴらレイクサイドGC中・東(1976)、日本海GC稲葉山(1978)、篠山GC西(1980)
1グリーン主義ゆえに、ベント・高麗で1グリーンを造った ●小寺酉二(1897~1976) 慶応大卒業後にプリンストン大に留学しゴルフ部に所属。 アマチュアゴルファーとして活躍し、昭和9年の日本アマでは赤星六郎に敗れている。戦後は相模CC、相模原GCで理事長を務め、JGAでは国際競技、ルールなどでゴルフ界を牽引した。 コース設計では1グリーンを主張し、相模原GC、狭山GCではベント芝と高麗芝による大きな1グリーンを実現して多くの人を驚かせた。
小寺酉二が設計した狭山GC:ほぼ平坦ともいえる地にレイアウトされたコースは、それぞれが個性的で多くの競技が行われ2016年には東、西コースを使い日本オープンが開催された。27年に日本女子オープンの開催が決まっている。 ◆主な設計コース:軽井沢GC(1931)、相模原GC東(1957)、狭山GC(1959)、嵐山CC(1962)、鹿沼CC(1964)、東京五日市CC(1973)