黒い雨を浴びた3歳の少女 記憶が問いかける原爆の真実 【長崎・被爆体験者訴訟】
しかし国は、原爆で拡散した残留放射線が引き起こした「被ばく」の影響は、「無視できる程度に少なかった」としており、「被爆体験者」に放射線の影響はなかったとしています。 ■爆風で家はめちゃくちゃ 原告・村田勝子さん(82): 「雨がやんで家に帰ったら、家の雨戸が吹っ飛んで、障子も割れて、うちの波トタンが近所の家に突き刺さってたんです。母が一生懸命、「弁償せんといかんかなーって」悩んでいたのを覚えてる」 勝子さんは当時、耳と歯から出血。爆心地の方を向いていた右耳は今も聞こえません。一緒にいた姉と兄は小学生の時から腎臓が悪く、兄は60歳で死亡、姉は愛知県で入院中です。 原告・村田勝子さん(82): 「なんでそんなに覚えてるか?と言われたことがあるんですけど、いえ、覚えときたくて覚えているわけではない」 網場、旧日見村は爆心地からおよそ8キロ。広島では、遠くは爆心地から40キロ離れたエリアまで、「黒い雨」が降ったとされる地域にいた人が被爆者と認められています。 ことし9月9日に言い渡された長崎地裁判決では、1999年に長崎県・長崎市が行った「証言調査」などを元に、旧日見村と隣接する旧3村だけに「黒い雨」が降ったと認定しました。 原告・村田勝子さん(82): 「私は裁判で証言するつもりだったんです。黒い雨が降ったこと。3人とも濡れましたからね。嘘は言いません。何で同じ原爆にあってるのに区別しないといけないのかなと思います」 Q、自分は被爆してると思いますか? 「私?思いますよ。ただ燃える中にいなかっただけ」
長崎放送