「発達障害でも医師になれた!」教師に匙を投げられた著者が「覚醒する」きっかけになった”ある事件”とは?
小学3年、先生が頭をなでてくれたおかげで「覚醒」。やる気が爆誕する「事件」が勃発!
新3年生の担任は八木先生といい、優しそうな笑みを上手に浮かべる背の高い先生だった。保護者への最初の説明会のあとに、母は背を丸めるように小さくなって八木先生に申し訳なさそうに話をしていた。 しばらくして、先生は私を母のもとに呼ぶと私の頭を撫でながら、 「お母さん、心配はいりませんよ。早生まれの子はどうしても低学年の時はみなさんより遅れがちになりますが、だんだんついてこられるようになります」 と言ってくれた。 母はその一言に大変救われたのか、学校で初めてにっこりとしたような気がする。それでは、1、2年の担任はそういうことさえ知らなかったのだろうか? 私はというと、その言葉の意味をはっきりとはわからなかったが、先生が初めて優しく頭を撫でてくれたので、なにかいいスタートが切れそうな予感がしていた。 素直で天真爛漫な性格だった私は、その些細な出来事で気をよくし、時間割もきちんと記して、教科書やノート、文房具も準備し、家でも勉強をやってみようと思うようになっていった。単純なものだ。 先生が頭を撫でてくれたことがここまで変えたのだ。自分で本読みの練習もするようになったが、予習として何度も読んではみたものの、なかなかすんなりとは読めなかった。 2年間のブランクはそうそう埋まるはずもなく、成績においても、たいした変化は生まれなかった。しかし、とにかく成績とは関係なく、勉強するということが少しずつ楽しくなっていった。 私が自ら本を開いたり、漢字の読み方を聞いたりし始めたので、母はかなり嬉しかったのか、毎日のように私の好きな夕食のおかずを作ってくれた。母も単純なものだ。 ある日、私が書いた詩を八木先生がとても褒めてくれた。そしてその詩を新聞に投稿するという。クラスのみんなから「すごいなあ」と祝福を受けた。 その詩の題名は「夏の夜の音楽隊」。今から思うと、そういう曲を授業で習ったため、それが頭に焼き付いて詩にしたのだろう。 私は学校で先生に褒めてもらうことはなかったし、クラスメイトから羨ましがられることは一度もなかった。そのため、この詩の〝事件〟は、私をたいそう喜ばせ、私の内にあるやる気を引き起こした。それからは私なりに一生懸命勉強をした。 私の詩は本当に新聞に掲載された。母も父もたいそう褒めてくれた。父は新聞を複数買ってきて切り抜いて、親戚に手紙と一緒に送っているところを見た。 このことをきっかけに、学校での私の居場所がだんだんでき始めた。たぶん、これは先生の作戦だったのだろう。成績も指定席の38番から徐々に上がっていった。 通信簿で並んだアヒルさんの「2」から「3」が並び始めたので、おそらく真ん中くらいの成績に上がっていたのだろう。予習をすると先生に褒められ、クラスメイトにもいちもく置かれることがわかった。 ■ここまでのお話では「できんぼ」として居場所のなかった著者が褒められる体験をきっかけに少しずつ自己確立を始めるまでの経緯をお伝えしました。続くお話では小学校卒業~中高生にかけて、著者が勉強のコツをつかみ、めきめきと成績を上げていく様子をご紹介します。
●PROFILE 香川宜子 徳島市生まれ。内科医師、小説家、エグゼクティブコーチ。代表著作の「アヴェ・マリアのヴァイオリン」(KADOKAWA)は、第六〇回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(高校の部)、全国インターナショナルスクールさくら金メダル賞受賞。また、「日本からあわストーリーが始まります」(ヒカルランド)は2023年10月にドキュメンタリー映画化。そのほか、「つるぎやまの三賢者」(ヒカルランド)、「牛飼い小僧・周助の決断」(インプレスR&D)などがある。
内科医師、小説家 香川宜子