「どちらかが死ななければ終わらなかった」58歳母をバラバラ死体にした娘を追い詰めた「呪縛と執着」
2018年3月、滋賀・守山市野洲川の河川敷で、両手、両足、頭部を切断された体幹部だけの遺体が発見された。遺体は激しく腐敗しており、人間のものか動物ものかさえ判別が難しかったが、その後の捜査で、近所に住む58歳の女性のものと判明する。 【漫画】『母という呪縛 娘という牢獄』無料公開中…! 女性は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘と二人暮らしで、進学校出身の娘は医学部合格を目指して9年間もの浪人生活を経験していた。 警察は6月、死体遺棄容疑で娘を逮捕する。いったい二人の間に何があったのか――。 獄中の娘と交わした膨大な量の往復書簡をもとにつづる、『母という呪縛 娘という牢獄』。大ヒットノンフィクションとなった同書が漫画化(漫画『母という呪縛 娘という牢獄』原作:齊藤彩 漫画:Sato君)され、こちらも話題を呼んでいる。コミカライズを記念し、原作書籍より抜粋してお届けする。 前編記事【また私を責めるんじゃないかと…58歳母を刺殺した娘が告白する「私が母を解体した理由」】
なぜ話す気になったのか
2020年11月5日午前、大阪高裁で行われたあかりの控訴審初公判は、異例の展開となった。刑事裁判の控訴審は通常、一審のような冒頭陳述の読み上げもなく、主張は書面で提出し、即日結審することがほとんどである。被告人が出廷する義務はなく、出廷しても認否を述べることもないため、早ければ10分程度で閉廷する。 しかしあかりの控訴審では冒頭、弁護人が控訴趣意書を陳述し、これまで否認していた殺人を認めることとなった。すぐさま被告人質問が始まり、あかりは、弁護人に問われる形で母を殺したことを告白した。
犯行の動機
あかりが提出した陳述書には、犯行に至った動機が切々とつづられている。 〈浪人生活を送っていたころの私は20代。心に回復力、柔軟性、図太さ、諦観が備わっていた。一晩寝れば大抵は忘れ、柳に風でいられた。夢も希望もなく、自分の人生なんてどうでも良かった。 勿論、長年の憤まんは積もっていたので、母の隙を突いて平成26年に逃げたのだが。しかし、大学生活を経ての地獄の再来は流せなかった。暴言による傷が治らない。言動の意図をあれこれ考えてしまう。狂った母に負い目はある。でも、だからといって助産師になりたいとは思えない。手術室看護師になるという現実的な希望があり、いずれは大学院に入りたいという夢も抱いていた。自分の人生に執着していた。(中略) 母は私を心底憎んでいた。私も母をずっと憎んでいた。「お前みたいな奴、死ねば良いのに」と罵倒されては、「私はお前が死んだ後の人生を生きる」と心の中で呻いていた。ところが、母を寝かしつけて一息ついた静かな夜、虚しくなる。哀しくなる。終わらせたくなる。母が死んで、「もう、憎むことも憎まれることもなくなった」とホッとし、身体の力が抜けた。 「娘が看護師として就職することを断固反対し、内定を蹴って助産学校に入るよう母親が強制してくる」という、私ですら理解しきれない苦悩を、父に、祖母に、大学の級友や教職員に、病院関係者に、誰に何を切り出して相談すれば良いのか、まったく思い付かなかった。母とすら信頼関係を築けなかった私は、自分以外誰も信頼出来なかった。浪人時代からそうであった。高校時代の「ドン引きされているのにウケていると思っていた失敗」を大学では、就職に際しては繰り返したくなかった。何より、誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している〉