「PC-8001」誕生40周年 NEC PCが記者会見(全文1)個人がコンピュータを使う時代に
パソコン事業の立ち上げ責任者が登壇
司会:はい、ありがとうございました。それではあらためまして、ゲストスピーカーの登壇をお願いしたいと思います。 まず初めに元NEC支配人でNECのパソコン事業の立ち上げの責任者をしておりました、渡辺和也でございます。では、渡辺さん、よろしくお願いいたします。ごめんなさい、失礼いたしました。その前に1つだけ、私が段取りを間違えました。 こちらの図にございますとおり、NECという会社は当時、コンピュータと電子デバイス、その他の部署があったのですが、この電子デバイスという部門からパソコンが登場することになります。そのいきさつ等も含めまして渡辺さんからお話をいただきます。すいません、渡辺さん、大変失礼いたしました。では、よろしくお願いいたします。 渡辺:ただいまご紹介をいただきました渡辺でございます。PC-8000、40周年ということで、当時その仕事に直接タッチしておりました私どもとしましては、まさに感無量というところでございます。そしてまたその機会に、こういった機会に皆さまにお話しできるということを大変光栄に存ずる次第でございます。ありがとうございます。 PC-8000も急に世の中に出てきたわけではございません。実はその誕生までの数年間、プロローグの時代がございました。その期間がその後のPCの発展に非常に大きな意味を持ったわけでございます。私からはその辺のお話をさせていただきたいと思います。 そのころ私たちはマイクロプロセッサ、いわゆるマイコンチップの販路拡大が主な仕事でございました。事務機や家電などのマイコン化が各社でどんどん進んでおりまして、マイコンセミナーあるいはマイコン教室等、大盛況でした。
トレーニングキットのTK-80でマイコンブームを実感
そして1976年にそのための教材としてトレーニングキット、TK-80を発売したわけでございます。これが世の中に大変大きな反響を呼びまして、単に産業界のみならず、一般の方にまで広がりを見せて、当時、新聞等でもマイコンブームというような言葉が使われましたけども、マイコンブームを実感した次第でございます。 そのマイコンチップ販路拡大のために、まずはNECマイコンサービスルームというのを、Bit-INNと称して秋葉原に開設をいたしました。技術者をはじめ、ホビイスト、マニア、大学の先生などで大盛況。しばらくしまして、NECマイコンショップ1号店が広島に誕生しました。これはBit-INNの小型版みたいなものですけども、メーカーから販売店やってくださいよと依頼をするのが普通だったんですけども、この場合は逆にショップのほうからの強い要望でスタートをしたといういきさつがございます。その成功を世の中が見てまして、各地からNECマイコンショップの開店希望が続々と寄せられ、初めは各県に1店ぐらいと思っておったんですけども、その目標は軽く超えまして、全国で200を超えるまでになっていったわけでございます。 そうしてる間に、TK-80用の電源やカセットインターフェース、またソフトの領域ですと、TK-80で朝ご飯なんていうのを出していただいたり、今日持ってまいりました応用ソフト集、こんなのを出して販売をされるという、いわゆるサードパーティーがスタートしたわけでございます。 これまでそういったサードパーティーなんていうのはなかったもんですから、皆さん理解に苦しんだり、なかなかされたことを覚えていますけれども、これがまだパソコンがなかった時代にこういったことがどんどんスタートしておったんだという点に注目をしていただきたいと思います。 それも私どもがNECが応用分野拡大のために必要な技術情報を積極的に開示しましたので、サードパーティーとの共存共栄という構造を実現することができたのでございます。 【書き起こし】「PC-8001」誕生40周年 NEC PCが記者会見 全文2に続く