「セ・パ交流戦」導入でプロ野球に明確に表れた「ある変化」
2005年からは、実際に入場した観客数、あるいは販売した入場券数を発表する実数発表になった。 2004年 セ・リーグ 1377万人 パ・リーグ 1066万4000人 2005年 セ・リーグ 1167万2571人 パ・リーグ 825万2042人 2004年までが「丸い数字」になっているのに対し、2005年は1人の単位まで発表している。 数字を見るだけでは、2005年は観客動員は大きく減少していることになるが、実際のところはわからない。 しかし2005年、NPBの観客動員が両リーグ合わせて1992万4543人だったのが、2019年には2653万6962人、コロナ化を経て2024年には2668万1715人と拡大しているのを見る限り、交流戦は野球の隆盛に寄与しているとみるべきだろう。少なくとも営業面で「交流戦」には、大きなデメリットがなかったのは間違いないだろう。 ■ 選手の意識に大きな変化 「交流戦」によって選手意識は、明らかに変化した。NPBではトレードなど選手の移籍が、MLBに比べればはるかに少なく、選手は球団、リーグの「枠の中」にいるという意識が強かった。 しかし、交流戦を実施して以降、リーグをまたいだ選手間の交流が多くなった。チーム、リーグが違う選手が合同で自主トレーニングをしたり、情報交換をするケースが増えた。 昭和の時代の野球人は、「違うチームの選手と仲良く話すなんて、昔は考えられない。あいつらは『敵』じゃないか」と嘆いてみせるが、今の選手はそうした偏狭な意識はない。「同じ野球をする仲間」ということで、合同で自主トレーニングや合宿などを行っている。 だからと言って、チームの情報を相手チームに漏らしたり、プレーで情実を加えたりするような問題は起きていない。選手たちの意識レベルが高くなったと言えるだろう。
交流戦は当初ホーム、ロード各6試合計36試合で行われていたが、期間が長すぎるということでホーム、ロード各4試合計24試合となり、現在はホーム、ロードいずれか3試合の18試合で落ち着いている。これに同一リーグの対戦が各25試合の125試合、合計、ペナントレースは143試合となっている。 MLBは2012年までアメリカン・リーグ14チーム、ナショナル・リーグ16チームの体制で行われていたが、チーム数を揃えるためにナ・リーグのヒューストン・アストロズがア・リーグに移籍、2013年から両リーグ15チームとなった。しかし奇数では、毎日1チームが対戦相手を組めなくなることから、以降はシーズン全日程にわたって常時、インターリーグが組まれるようになった。 またインターリーグの試合数は次第に拡大された。2023年からはア・ナ両リーグのチームは同一リーグ14チーム、他リーグ15チームの29チーム、つまりア・ナ全チームとの対戦が組まれている。 ■ セ・パが別個に雇用していた審判や記録員も統一 NPBでは交流戦によって、選手だけでなく両リーグの球団の距離感も縮まった。 2009年には野球協約の改定に伴い、セントラル、パシフィック両リーグはコミッショナー事務局の元、統合された。リーグトップの会長の役職も廃止された。 また、これまで両リーグで別個に雇用していた審判や公式記録員も、コミッショナーの元で統一された。以前は審判のジャッジや公式記録の解釈などで、両リーグに違いがみられたが、そうした不都合も解消した。 しかしながら「両リーグは別個のもの」という認識は、両リーグ間で根強く残っている。2011年の東日本大震災の際には、ペナントレースの開幕日を巡って、巨人を中心とするセ・リーグと、被災地を本拠とする東北楽天などパ・リーグが激しく対立し、コミッショナーが開幕日を決める一幕もあった。 またリーグの様々なルールを定めた「アグリーメント」も未だに別々に定めている。 MLBでは、2023年からナショナル・リーグも「指名打者制」を導入した。これも、FA年限が迫ったア・リーグ、エンゼルスの大谷翔平の移籍の選択肢を広げるためだったとの説があるが、両リーグがDH制を敷く「ユニバーサルDH」によって、ア・ナ両リーグの差はほとんどなくなったと言える。 NPBでは未だにセ・リーグがDH制を採用していないが、今や世界のトップリーグではセ・リーグだけとなった。交流戦では、主催チームによってDH制があったりなかったりしている。野球の国際化を考えても、この問題についても早期解決が待たれるところだ。
広尾 晃