「セ・パ交流戦」導入でプロ野球に明確に表れた「ある変化」
2004年の「球界再編」を契機としてできた新しい制度に「交流戦」がある。セントラル・リーグ、パシフィック・リーグというリーグの壁をまたいで、チームが公式戦をするというものだ。 【実際の写真】交流戦だから見られる光景。オリックスの本拠地、京セラドームが広島カープの赤に染まった(2018年) 従来、ペナントレースは、セ・リーグ、パ・リーグの中だけで行われた。リーグをまたいでの真剣勝負は、日本シリーズしかなかった。 あとはオープン戦と称する非公式試合だけだった。また、夏にはセ・リーグとパ・リーグのスター選手がチームを組んで対戦する「オールスター戦」が行われた。これは、21世紀になるまではかなり真剣味の強い対戦ではあったが、それでも公式戦ではなかった。 そもそも、一つのプロ競技の中に「二つのリーグがある」というのは、アメリカ発祥のスポーツに独特の体制だ。 ■ 当初はナ・リーグだけが「MLB」 MLBはアメリカン・リーグ、ナショナル・リーグの2リーグ制、バスケットのNBAは東西2つのカンファレンス、アメリカンフットボールのNFLはアメリカン・フットボール・カンファレンスとナショナル・フットボール・カンファレンス、アイスホッケーのNHLも東西2つのカンファレンスに分かれている。 その始まりはMLBにあった。 アメリカでは1871年に「ナショナル・アソシエーション=NA」というリーグができた。NAは1876年に「ナショナル・リーグ=NL」となったが、彼らは自分たちだけがMLB(メジャーリーグベースボール)だとして、他のリーグ、チームとの差別化を図った。その後、いくつかのリーグができ、それらも「メジャーリーグである」と主張したが、NLはそれを受け付けなかった。しかし1901年にできたアメリカン・リーグを「メジャーリーグ」と認めたことで、MLBは二大リーグ制となった。 しかし、両リーグの関係は必ずしも良好ではなかった。MLB創設3年目の1903年になって両リーグ優勝チームの雌雄を決する「ワールドシリーズ」が生まれたが、以後も両リーグはライバル心を抱き続けていた。ドラフト制度など、両リーグが導入に合意した制度もあったが、1973年にアメリカン・リーグが指名打者制度(DH)を導入した際には、ナショナル・リーグはこれに同調しなかった。