脳の障害乗り越え「不惑のスクラム」出演を果たした俳優の生き方
脳の障害乗り越え「不惑のスクラム」出演を果たした俳優・森田一休の生き方 撮影・編集:柳曽文隆 THE PAGE大阪
猛暑日が続いた7月のある日、ラグビーを題材としたNHKドラマ「不惑のスクラム」の撮影現場を取材。高橋克典や萩原健一をはじめ、日焼けしながらグラウンドを走る俳優陣の中に、以前、大阪の劇団で取材をした際に出会った俳優、森田一休の姿を見かけた。森田は会社員だった17年前、バイクを運転中にトラックに追突され脳挫傷により生死をさまよい、高次脳機能障害が残った。後に劇団に入り俳優の道へ進み、それを克服し役者として11年でつかんだ初めての連続ドラマ出演だという。そんな森田の生き方に迫る。 【インタビュー全動画】ドラマ「不惑のスクラム」出演の森田一休に聞く撮影秘話
高校卒業後に防衛大学校入学も、後に府立大へ
森田は大阪府立茨木高校を卒業後、防衛大学校の理工学部に進んだ。自衛隊の仕事へのあこがれもあったが、2年の終わりに退学した。同校で様々な知識や体験を積むことができた。しかし、学んでいく中で「もし、このまま俺が死んだら、成仏できない。死んだ時に『生きててよかった』と思える人生を送りたい」と考えるようになり、退学を決めたという。 退学を決めた後は再び受験勉強をはじめ、大阪府立大学の経済学部に入学した。その際のセンター試験対策など「大学受験の勉強がすごく楽しかった」と森田は当時を振り返る。
突然の事故、高次脳機能障害に悩んだ日々
充実した学生生活を送った後、大阪府内の大手私鉄に就職。会社が運営する遊園地の企画部門に配属された。「広報、宣伝などなにか発信する仕事にいつか就きたい」という思いを胸に、日々、遊園地内で与えられた仕事に打ち込み充実した社会人生活を送っていた。 しかし、2002年2月6日。いつものように仕事を終えバイクで帰宅途中。黄信号を確認して停車しようとしたところで記憶がなくなった。後に、病院で目を覚ました際、停車時に後ろから来た大型トラックに追突され、生死をさまよった後に目が覚めたことを知らされた。 診断の結果は「びまん性軸索損傷」。高次脳機能障害や視野が狭まる「狭窄」、平行機能障害などが残った。それにより、記憶障害や集中力、判断力の低下。感情がコントロールできず、怒った時は両親や家族にも暴力を振るっては、鎮静剤を服用していた。 退院後に社会復帰し、会社は本社の事務職に配属してくれた。しかし、記憶ができないため、コピーを頼まれても途中でほかの作業をしたら忘れるなど、決められた仕事をこなすことができなかった。そして、感情をコントロールできなくなると、パソコンを壁に投げつけたりもした。 「当時の記憶はあまりありません。ただ、そうなった時に、事情を知っていた上司は、すぐに別室へ連れて行ってもらい、優しく対応していただいてました」。しかし、仕事をすることができず、復帰から間もなく、退社した。