東京オートサロン、最熱のクルマ祭り 「楽しさ」を共有 東京オートサロン(上)
旧東京モーターショーとの性格の違い
1987年に現在の「東京オートサロン」という名称に変更した。出展者と来場者が増えてきたことを受けて、舞台は1997年から東京ビッグサイトへ。1999年から今と同じ幕張メッセへと会場を移した。 当初は走りの性能面が来場者の関心を集めたが、パーツや技術のバリエーションが広がり、ドレスアップの面でも深まりを見せるようになっていく。「デートカー」という言葉があった通り、「かつてはデートの必需品とみなされた時期もあった」(福井氏)。性能とエレガンスを兼ね備えた形でのカスタマイズはさらに東京オートサロンの人気を押し上げていった。 1999年あたりからは大手メーカーが本腰を入れるようになってきた。雑誌媒体とチューニング・ドレスアップショップ、パーツメーカーなどが起こしたうねりが「本家」の完成車メーカーも巻き込んだ格好だ。2016年からは日本自動車工業会、日本自動車連盟(JAF)が後援に名を連ねた。 もともと大手メーカーにとっては旧東京モーターショー(2023年からはジャパンモビリティショー)が晴れ舞台となるお披露目の場だった。現在でもその位置付けに変わりはないが、この20年ほどで東京オートサロンの重みは格段に増した。実際、1日当たりの来場者数はジャパンモビリティショーに匹敵するほどに増加。会場の熱量が高いのも東京オートサロンの特質だ。 人気の理由を福井氏は「リアル感の高さ」にみる。ジャパンモビリティショーは構想段階のプロトタイプが多く、今すぐに買ったり乗ったりできるわけではない。いわば「クルマの未来を見通す」ようなショーだ。一方、東京オートサロンは既に市販されていることが多く、「今、クルマを求めている人に刺さりやすい」(福井氏)。 出展企業にとっても目の前に潜在顧客が集まっている状況は見逃せない。1月の開催はその年の売れ行きを見通す意味でも好都合のタイミングだ。 企業から送り出される公式発表の意味合いが強いジャパンモビリティショーに対して、東京オートサロンは「楽しさ」を前面に押し出した「みんなのお祭り」的なムードが濃いのも、支持を広げている理由だろう。「来場者同士やブーススタッフとの間で、会話を楽しみ、知識を分かち合うことの高揚感は大きい」(福井氏)という。 実際、会場のあちこちで熱っぽく語り合う場面が見られた。応じるスタッフの側も心なしか、「1人のクルマ好き」として応じている感じがある。購入や注文を織り込んで、具体的な相談を進める来場者の姿も見受けられた。