『踊る大捜査線』はなぜ“映画”として特別なのか “テレビと同じ”だからこそ描けたもの
『踊る大捜査線』(フジテレビ系)という作品が、いかにエンターテインメントとして優れているかという話は、おそらくこの四半世紀ほどのあいだで語り尽くされてきたであろう。従来の刑事ドラマにありがちだった銃撃戦やカーチェイスのような派手な飛び道具、はたまた独特な警察用語など、日常とは隔絶した世界であることを示す要素を一切排除し、警察をひとつの会社に見立てた上でコミカルな人間模様を形成し、日常から逸脱しない。そして描くべきところではしっかりと情緒を持たせてダイナミズムを付与していく。 【写真】放送時は爆売れとなった青島のモッズコート そういった意味では刑事ドラマというより、いわゆる“お仕事ドラマ”に限りなく近い感触といえよう。元サラリーマンで刑事に強い憧れと情熱を抱く青島俊作(織田裕二)が、警察という組織の構造を目の当たりにしながら独自のカラーをもった刑事へと成長していく様が作品のひとつの核となっている点では小さくおさまりがちなジャンル性を有しているといえよう。しかしながら、それでも「劇場版」というかたちで大成功するに至ったのは、確固たる“見せ方”(あるいは魅せ方、と表現してもいいだろう)の巧さがあったからに他ならないだろう。 1998年に公開された映画第1作の『踊る大捜査線 THE MOVIE 湾岸署史上最悪の3日間!』(以下、『踊る THE MOVIE』と略させてもらう)は、当時の日本の実写映画としては『南極物語』以来となる興行収入100億円を記録。現在までに実写日本映画で100億円の大台を超えたのはこの2本と、続編の『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の3本だけである。以後もスピンオフも含めてシリーズ化され、いずれも堂々たる興行成績を収めており、今年の秋に久々にシリーズが再始動。あらためて『踊る』について語ることができる機会ができただけで非常に嬉しい限りである。 さて、この『踊る THE MOVIE』。現在では、すっかりテレビドラマの劇場版ブームの礎を築いた記念碑的作品としての文脈で語られることが非常に多い作品だ。そもそも本作以前にもテレビドラマから派生した劇場版作品というのは存在していたが、日本の実写テレビドラマからの続編として「THE MOVIE」がつけられるのは、本作の1カ月前に公開された『あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE』しかなかったであろう。もっとも『あぶ刑事フォーエヴァー』に関しては「テレビスペシャル」と「THE MOVIE」の前後編型で展開していたものの棲み分けのためであり、少々意味合いが異なっている。 いずれにしても「THE MOVIE」と銘打つことによって『踊る THE MOVIE』は、テレビドラマ版の『踊る』とは違うもの、映画スケールになったものが劇場で観られるのだと打ち出していたわけで、それがこの映画が成功した要因のひとつなのは間違いない。ところが意外なことに、すでにこの『踊る THE MOVIE』を観たことがある人ならば分かる通り、観る者を一瞬で引き込むオープニングに同時多発的に起こる厄介な事件、“本店”との軋轢と、そこに挟まれる青島と室井(柳葉敏郎)の身分違いの友情譚、ガツンと刺さる名台詞に終盤で誰かがピンチに陥いる流れなど、映画的なルックを獲得しつつもやっていることは概ねテレビドラマ版と変わっていないのだ。 現在では劇場版作品の濫造によって、大々的に“映画”と銘打っておきながらテレビドラマと大差ない規模感の作品は増えているが、そうしたテレビドラマと映画の垣根を取り払った試みはあまり歓迎されていないように思える。というのも、まだどこかに映画=テレビドラマの上位互換のような風潮は残っており、たしかに家で無料で観られるものをわざわざ映画館まで足を運び有料で観るのだから、プラスアルファ以上の何かが求められて然るべきところ。 しかし『踊る THE MOVIE』の場合は、テレビドラマと同じことをやってもそのスケールに耐えうることをまざまざと証明した。おそらくこれは、他の劇場版作品では『踊る』以外にないのではないだろうか。ストーリー運びにギャグの入れ方、一部のシーンで横浜が出てくるが、基本的にお台場というロケーションから逸脱しないままで、しっかりと“映画”たらしめつづける。否定的な見方も少なからずあったとは記憶しているが、結果的に、テレビドラマ版がそもそも映画的であったことをあらためて気付かせてくれたのである。 ある意味では、大きな手柄をあげようと既成の枠に囚われながら奔走する映画に対し、テレビドラマが意地を見せることでその垣根を越えていく。先ほど触れた上下関係がそこに存在すると仮定すれば、上が下に闇雲に合わせるのではなく、下が上へとのぼっていくだけの働きを見せて納得させる。この作品のなかで描かれる“本店”と“支店”の関係によく似た構図を体現しているといえよう。