朝ドラ『虎に翼』花岡悟のモデル・山口良忠の悲劇的な最期とは? 法律を守って餓死した裁判官が残した言葉
NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は第10週「女の知恵は鼻の先?」が放送された。終戦後、民法改正に携わることになった寅子(演:伊藤沙莉)は、思い出の公園で花岡悟(演:岩田剛典)と再会。食糧管理法に関する事案を担当していた花岡だが、後日彼が餓死したという衝撃の知らせが入る。じつは史実でも、裁判官が「配給以外の米は口にしない」と法を遵守したことで餓死するという事件が起きていた。 ■敗戦後の食糧難で追い詰められた高潔な青年の悲劇 花岡悟のモデルである山口良忠さんは、大正2年(1913)に佐賀県で生まれた。『虎に翼』に登場する花岡と轟太一(演:戸塚純貴)も同じく佐賀県出身という設定だ。 山口さんは鹿島中学校、佐賀高等学校(いずれも旧制)を卒業。その後京都帝国大学を卒業し、大学院に進んだ後に高等文官試験司法科に合格。晴れて判事となった。 そして終戦後の昭和21年(1946)、東京区裁判所の経済事犯専任判事に就任。ここで何をしていたのかというと、闇米(配給以外の米)を所持・取引するなどして食糧管理法や物価統制令に違反し、検挙、起訴された被告人の案件を担当していた。 山口さんは勤勉で真面目な性格だったこともあり、「どう考えても国からの食糧配給が間に合っておらず、闇米を食べなければ生きていけない」という現実に対して「それを取り締まる自分が闇米を食べるなんてもってのほかだ」と思い詰めるようになってしまう。そして、闇米を食すことを自身に禁じたのだった。 配給される米などはまず子供たちに与え、自分はほとんど汁だけになったような粥でしのいでいたという。自ら畑を耕したり、芋を栽培するなどしてどうにか“法を犯さない”食べ物を確保しようとしたが、それでも足りなかった。やがて栄養失調に起因する病に侵され、ついに昭和22年(1947)8月、東京地裁の階段で倒れてしまう。 その後、故郷・佐賀に戻って療養生活に入った山口さんは、「生きるために闇米に手を出さざるを得なかった人々を裁く」という仕事から離れたことで随分心の負担が軽くなったらしい。配給される食糧以外も口にするようになったという。ところが、その時点でもう手遅れだった。同年10月11日、栄養失調による肺浸潤(初期の肺結核)のため、この世を去ったのである。享年33歳、あまりにも早すぎる死だった。 「裁判官が法を守って餓死した」というニュースは大々的に取り上げられ、社会に衝撃を与えた。その行動の是非を巡って大きな論争が巻き起こり、アメリカでもワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズで山口さんの死が取り上げられるほどだった。 これほどまでにセンセーショナルな事件になった背景のひとつには、当時の裁判官の低すぎる給与問題もあった。闇市で食材を買うこともままならないケースが多く、栄養失調で体調を崩したり、それに起因する病で死亡する裁判官も少なくなかったのである。この事件の後、GHQのマッカーサー元帥は「彼は裁判官として当然の義務を果たしたが、残念なことだ」と述べ、裁判官の給与改善を指示したという。 後に山口さんの妻は、生前の夫の言葉を次のように回想している。「人間として生きているなら、自分の望むように生きたい。私は判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇米に手を出すことはできない。後ろ暗いところが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってほしい。倒れるかもしれないし、死ぬかもしれない。しかし、良心をごまかしていくよりはいいのだ」 山口さんは自身に対しては厳しくても、食糧管理法違反で逮捕された人々に対しては情状酌量の余地が大いにあるとして同情的な判決を下していたそうだ。 「人としての正しさと、司法としての正しさがここまで乖離していくとは思いませんでした」と桂場等一郎(演:松山ケンイチ)に吐露した花岡。真面目だがどこか不器用な面があった彼の姿には、山口さんの生き様が反映されているように思えてならない。
歴史人編集部