ソウルで「民主化デモ」に遭遇、W杯3位決定戦の裏で「北朝鮮」と交戦も…【韓国サッカーと「戒厳令」「軍事衝突」の意外な関係】(2)
今とは違い、ビザが必要な時代から、韓国へ何度も足を運んできた蹴球放浪家・後藤健生。隣国の大統領による12月3日の「戒厳令」宣言は、世界を驚愕させたが、蹴球放浪家の脳裏に浮かんだのは、韓国における「サッカー」と「独裁政権」、そして「軍事衝突」の意外な関係だった。 ■【画像】「天使が舞い降りた」なでしこジャパン美人MF、クリスマスデート風ショットに「カワユス」「おいしそう」「キラキラ」の声、北川景子イメチェンも話題
■日本にとって「先輩格」だった
その後も、1990年代にかけて僕は何度も韓国を訪れました。当時、韓国サッカーは日本の強敵で、1960年代から日本代表は韓国に勝てない時代がずっと続いていました。1993年にJリーグが開幕し、ハンス・オフトが代表監督に就任にしてから、ようやく日本代表は韓国と互角に勝負できるようになりました。 ですから、韓国サッカーは日本にとって「先輩格」だったのです。それで、僕は韓国に何度も旅行したのですが、軍事独裁政権が続き、民主化運動も激化した、かなり大変な時期でもあったわけです。 ソウル・オリンピックが開かれる1年前の1987年の夏には、延世(ヨンセ)大学校の学生、李韓烈(イ・ハニョル)君が戦闘警察が発射した催涙弾を頭部に受けて死亡するという事件も起きていました。 僕自身もソウル市内で民主化デモの現場に居合わせたことがあります。それに対して、警察が大きな音を出す催涙弾を発射して、両者がハデにやり合っていました。 しかし、大通りの向こう側でデモ隊と警察が闘っている間も、道路のこちら側では市民が普通に通行していて、カフェでは人々が何事もないかのように談笑していました。
■韓国海軍と北朝鮮海軍が「西海」で…
2002年の6月29日の午後、僕は韓国中部の大邱(テグ)市の中心街にいました。 日韓ワールドカップの3位決定戦、韓国対トルコの試合の日でした。すると、街角の電気屋のテレビで臨時ニュースが流れていました。西海(黄海)で韓国海軍と北朝鮮海軍が交戦し、韓国軍側に死傷者が出たというニュースでした。 さあ、大変。これが大事件に発展したら3位決定戦どころではない。明日は横浜で決勝戦があるのだが、これもどうなるんだろう? いや、帰国便が欠航になって、日本に帰れなくなるかも……。 すべて杞憂でした。3位決定戦は予定通りに行われ、スタンドを埋めた大観衆が「デ(テ)ハンミングッ(大韓民国=韓国の正式名称)」と叫んでいました。何事もなかったかのようです。 このときの戦闘は「第2延坪(ヨンピョン)海戦」と呼ばれているもので、韓国側では6名が戦死しました。しかし、「ワールドカップ4強進出」で盛り上がる韓国国民は、この海戦を気にもかけなかったのです。 1960年代から40年近く軍事政権下にあり、戒厳令も武力弾圧も日常茶飯事だった韓国では、そうした政治的混乱や軍事衝突とうまく付き合いながら社会生活が営まれてきたのです。
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