【競輪】引退神山雄一郎の大立ち回り GP当日朝まで後閑信一と練習「競りって、どうすんだい?」
輪界のレジェンド、神山雄一郎引退の知らせを聞いた日刊スポーツ競輪担当記者や経験者たちが、惜別の原稿を寄せた。 ◇ ◇ ◇ ◇ 「オレが審議かい?」。レースを終えて、検車場引き上げてきた神山が大声で叫んだ。1999年(平11)12月30日、立川で行われたグランプリ。高松宮記念杯で初タイトルを獲得した先行選手、太田真一(埼玉)の後ろ(番手)で一世一代の大立ち回りを演じた。 周回中、太田の後ろを主張して神山に競りかけてきた競輪祭優勝者の小倉竜二(徳島)を競り落とす。最終ホームで踏み込んできた全日本選抜の覇者、吉岡稔真(福岡)を、競輪用語で言う「金網まで持って行く」という派手なブロックで止めた。次いで、まくってきた金古将人(福島)を2角で止める。 自身は3着入線後に小倉を落車させたため、審議の対象となって失格した。高松宮記念杯の決勝後に「真ちゃん、ナイスラン」と右手を差し出して優勝をたたえたナショナルチームの盟友、太田を徹底援護。グランプリ制覇をアシストした。これぞ、競輪の醍醐味(だいごみ)と思わせる、番手の仕事を見せてファンを沸かせた。 自力型で、自分がラインの先頭で逃げたりまくることが多かった神山は、番手の仕事が不慣れだった。その証拠に、同じ立川競輪のレースに参加していた仲良しの後輩である後閑信一(当時群馬)に、「競りって、どうすんだい?」と聞いていた。グランプリ本番当日の朝練習まで後閑と体をぶつけ合いながら、相手が自分の内や外で並走してくる競りになった時の対処法を教わっていた。 競輪場からの帰り支度をしていた選手控室で、他社の記者とともに囲み取材を終えた時だった。「あーあ、みーんな、やっつけちゃった」。いたずらっぽく笑った。 ついぞグランプリに縁はなく、引退の日を涙で迎えた。25年前の暮れに見せた、大仕事を成し遂げた後の充実感に満ちた顔は今でも覚えている。【98~02年競輪担当記者・赤塚辰浩】