ダウン症のある娘が、マチュピチュ遺跡の3時間往路でブチキレながらも笑顔になった理由
マチュピチュ遺跡を目指して往復3時間
PERU RAIL(ペルーレイル)の列車に乗り、マチュピチュ村を目指す道中、私はとにかく娘のことを心配していた。これから、マチュピチュ遺跡まで、急勾配の続く道や、硬い石段を往復3時間かけて登らなければならないため、再びの高山病と娘の体力が持つかどうか、不安でたまらなかった。 今回の旅は、娘の体調と体力を何よりも最優先事項としている。安全で無理のない旅にするため、事前に出来る限りの備えをしたかったが、人気の高いマチュピチュでも、子連れで登ったという情報や、ましてダウン症のある人が登ったという体験談は探してもなかなか出てこなかった。 心配の尽きない私の隣で、娘は列車のアナウンスから「マチュピチュ」と聞こえてくると「可愛い!! ポケモン? ピカチュウだ!!」と無邪気に嬉しそうに喜んでいる。娘によると、ポケモンに“ピチュー”というキャラクターがいて、そのピチューがピカチュウに進化するそうなのだが、それを聞いて、列車の中で大笑いした。とにかく元気そうな様子に、「まずは娘を信じてみよう!」と私の迷いはなくなった。 マチュピチュ遺跡の入り口で現地のガイドさんと合流し、世界遺産を目指してスタートした。赤道に近いためか、陽射しはかなり強く、暑かったり、でも標高が高いせいか、気温は低かったり、半袖と長袖を何度も脱ぎ着し体温調節を繰り返しながら登る。大人でも大変な中、娘は本当によく頑張っていた。 こまめな休憩と水分をとりながら、娘の様子を確認しながら進んでいると、途中から心肺機能が慣れてきたのか、習っているチアダンスを踊り出したり、歌を歌ったりしながら登り始めた。息切れしている私たちよりも娘は強くなっていた。
ブチキレながらも歩き続けた娘の想い
そんな娘の若さが羨ましく感心していたのも束の間、ちょうど半分を過ぎた頃、娘が突然ブチキレた。 「もうキツ過ぎるよ!限界だって!やってらんないよ!!パパとママだけ勝手に行ってよ!」とかなりの勢いだ。 普段から穏やかな性格の娘が、この旅でこんなに気持ちをぶつけてきたのは初めてで、思わず夫と顔を見合わせて驚いた。 「そうだよね、さすがにキツいよね、ごめんね。もう止めようか。」と私が聞くと、娘はふと我に返った様子で、「いいよ、大丈夫だよ。パパの夢だし、仕方ないよ」と気まずそうに小さな声で言った。そして、また私の手を引っ張って歩き始めた。 夫「ありがとう……。ごめんね。一緒にがんばろう。」 娘「いいよ。限界なんだけどね、本当はもう少し頑張れるから……」 そんなこんなで、遺跡に到着した時には、汗と涙と笑顔で家族3人、心から笑っていた。 ダウン症のある娘は、生まれつき全身の筋肉が低緊張という特徴がある。ただ、だからと言って最初から無理と決めつけず、何事にも(あくまで本人の様子を見ながら)少しずつチャレンジさせてみようというのが私たち夫婦で決めたルールだった。娘の体力や気持ちの変化は常に娘を見ていれば私には分かる。障がいがあってもなくても、チャレンジがあくまで親子の信頼関係の下に成り立っているのは、きっとどの家庭も同じだろうと思う。 遺跡からの帰り道は、日差しがピークに近づき、かなり暑さも厳しくなった上、くだり坂の中にも時折、階段を登らなければならない場面も出てくるため、道のりは長く厳しく感じられた。引き返すことも出来ず、夫と交代しながら娘の手を取り、一歩一歩を慎重に重ねた。 ゆっくりな娘のことを、マチュピチュを訪れている多くの人が優しく見守るように待ってくれたり、道を譲ってくれたりした。娘と一緒にいると旅先でこうした人の優しさに触れられる機会が多く、私自身、何度も気持ちが救われた。そして、誰かのために頑張ることで想像以上の力を発揮することができるということを娘が身を持って教えてくれた。 ◇後編『日本の歌を日本語で涙、ダウン症のある娘と見学したペルーの日系人学校での出来事』では、ペルーの日系人学校を訪れ、そこで体感した感動の出来事についてお伝えする。
長谷部 真奈見(フリーアナウンサー)