夢のOB戦…清原和博を説得した阪神・川藤幸三会長の“直談判”「キヨ、11月18日、空けとけや」「だって、巨人の人から嫌われてますから」
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 いよいよ『会長!カワさん奮闘記』の完結編である。すべての準備が整い、チケットも前売り段階で3万枚を超えた。あとは華やかに「阪神―巨人OB戦」の幕を開けるだけ。だが、前日の2012年11月17日、甲子園球場のある兵庫県西宮市は朝からドシャ降りの雨。心配する巨人の王貞治会長や金田正一氏の前で川藤幸三会長は「大丈夫、何とかなるでしょう!」と大見えを切った。 ◆清原和博、藪の“危険球”に怒りの表情【写真複数】 「お天道様のことをワシが分かるわけないやろ。《頼んます!》と空に祈って寝たわ」 午前5時前、カワさんは目が覚めた。窓の外を見ると雨は止んでいた。思わず「よっしゃぁ!」とガッツポーズ。同6時過ぎに甲子園球場へやって来た。すると球場ではすでにグラウンドキーパー「阪神園芸」の人たちによる《神作業》が始まっていた。 「カワさん、心配しないで。OB戦が始まる正午前にはきれいなグラウンドに仕上げますから。大丈夫です」と金沢健児施設部長は頼もしく胸を叩いた。 「ほんまに凄い連中やで。雨は止んだがグラウンドのそこら中に水たまりができとる。それを土のじゅうたんみたいなグラウンドに整備してくれた。試合ができたんはあの連中のおかげや。感謝しかない」 11月18日正午、ついに「阪神―巨人OB戦」の幕が開いた。当日券を求めてファンが球場に押しかけた。開場と同時にみるみるうちにスタンドが埋まっていく。プレーボールがかかったときにはなんと、4万4000人を超える大観衆で甲子園球場は満杯になったのである。 バタバタバタ…と上空には、この《偉業》を伝えるワイドショーのヘリコプターまで飛んだ。OB戦には現役選手も含めて両軍合わせて68人が参加した。先発投手は巨人が金田正一、阪神は小山正明。そして次から次へとスターたちがマウンドへ上がった。ご紹介しよう。 【巨人】金田―堀内恒夫―新浦壽夫―角盈男―鹿取義隆―江川卓―水野雄仁―槇原寛己―宮本和知―斎藤雅樹 【阪神】小山―上田次郎―江本孟紀―江夏豊―池田親興―福間納―中田良弘―中西清起―藪恵壹―湯舟敏郎―野田浩司―ウィリアムス 試合は阪神が1回に真弓明信の2点タイムリーで先制。4回にはこの年、現役を引退した阪神の金本知憲が江川から右翼へ3ランを放ち「ラッキーゾーンがあるのはいいですねぇ」と大喜び。 スタンドのファンの歓声がひときわ大きくなったのは江夏がマウンドに上がり「代打」で王さんが場内アナウンスされたときだ。そして清原和博と藪の因縁の対決もあわや乱闘?と盛り上がった。 江夏豊氏はこれまでずっと阪神OB会に背を向けていた。1993年3月に江夏氏が覚せい剤取締法違反(所持・使用)の現行犯で逮捕される―という事件が起き、甲子園球場のOB室から江夏氏の写真が外された。江夏氏はそれが悲しかった。以来、江夏氏はOB会とは距離を置いていた。だが、今回の阪神―巨人OB戦で「江夏豊」は外せない。カワさんは江夏氏に「話したいことがあるんです。会ってくれませんか」と電話をかけた。 甲子園球場近くのホテルで2人は合った。 「江夏さん、王さんが『豊はどないしとる』と心配しとったよ」 「お前、王さんに会ったんか」 「当たり前やないですか。OB戦やるのに会長の王さんに会うわんでどうするんです」 「そやな」 「巨人は王会長を筆頭に体の不自由な長嶋さんまで出てくれるんです。ONが出てくるのに阪神の田淵や江夏が出ないわけにはいかんでしょう。ポスターかてメインは王さん、阪神は江夏さん―とワシは考えとるんです」 「分かった。カワ、もう何もいうな」 江夏氏を動かすには多くの言葉はいらない。江夏豊は《気持ち》で動く人、意気に感じて動く人なのだ。カワさんがそのことを一番よく知っている。2010年11月、「会長」に就任したカワさんは、後輩で実績も何もない自分が「会長」を務めることを、先輩の藤田平氏と江夏氏に一番に電話をかけて了解と協力を求めていた。 「江夏さんは1対1で話したら絶対に分かってくれる人なんや」 カワさんは巨人のOBたちにも電話をかけて参加を呼び掛けた。それが清原氏である。 「キヨ、11月18日、予定入れんと空けとけや」 「何かあるんですか?」 「阪神―巨人のOB戦やるんや」 「えっ、ボク、タイガースのユニホーム着られるんですか?」 「アホ、そんなわけないやろ!」 「ボク、巨人のユニホームやったら着れませんよ」 「何でや?」 「だって、巨人の人から嫌われてますから…」 1997年、西武から憧れの巨人に移籍した清原氏だったが、けっして幸せな日々ではなかった。巨人のチームカラーになじめず、生活も荒れ、最後は堀内監督との《確執》が表面化。2006年、追い出されるようにしてオリックスへ移籍した。 「ボクは嫌われている」―清原の言葉通り、巨人OB会も清原にはOB戦参加の声を掛けていなかったのだ。カワさんは電話口で声を荒げた。 「アホか! お前は何をしょうもないことを気にしとるんや! ええか、今度のOB戦はファンのため、ファンを喜ばせるためにやるんや。個人的な好きや嫌いはどうでもええことや」 「でも…」 「でももへったくれもあるかい! 目をつむってよう聞けや。場内アナウンスで『〇番、サード、清原』というたら、お客さんはどう反応する?想像してみ」 清原氏はカワさんの言葉をしばらくかみしめた。 「3日、考える時間ください」 「あかん!お前に時間やったら、あの人がイヤや、この人が嫌い―と顔が浮かんでくるだけや。即決せぇ」 「分かりまた。カワさんにお任せします」 18日の当日、試合前にカワさんはあいさつをするため三塁側の巨人ロッカールームを訪ねた。すると、部屋に居たたまれないのか、清原氏だけがひと足早くグラウンドに出てきていた。「キヨ、一緒に来い!」。カワさんは清原を連れてロッカールームに行った。そしてすべての巨人OBたちに「こいつをよろしく頼みます」と言って回った。試合が始まると巨人ベンチには「清原、ここに座れ」「キヨ、こっちに来い」そんな声が聞こえたという。 「江夏さんも喜んでくれてなぁ。今年(2024年)のOB戦(東京ドーム)にも車イスで酸素吸入しながら参加してくれた。ファンを喜ばせたいというプロ意識よ」 ―清原はなんて言うてました? 「こんな思いをしたの初めてです―と感激しとったな」 カワさんは嬉しそうに笑った。 カワさんはタイガースのすべての試合を、時間と体が許す限り見ている。甲子園球場だけでなく遠征先での試合も。 「それがワシのスタイルなんや。現役時代から自分の放送がある時だけしか球場に来ない評論家が嫌いやった。日頃から選手の練習を見とかな変化も何も分からんやろ」 タイガースだけでなく、相手チームの練習も見る。いつもベンチの最前列のど真ん中で。それは現役時代もいまもそれは変わらない。だから12球団すべての選手が「カワさん、こんにちは!」とあいさつにやってくる。ときにはコーチや監督の相談に乗ることもある。 「カワはみんなに好かれている」と田淵さんは言った。その通りだと思う。阪神―巨人のOB戦で甲子園球場を満杯にする―という《偉業》は、川藤幸三だから成しえたことなのだ。タイガースのOB会長を退任してもカワさんは12球団のOB会長。プロ野球のど真ん中、それがカワさんの居場所である。 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
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