宝塚『ベルサイユのばら』初演から50年!初代と2代目オスカル、榛名由梨と安奈淳が語る「母に榛名さんが死に化粧を」「3日違いで救急車で運ばれて…」
◆ラブシーンを下級生が見に来た 安奈 『ベルばら』の舞台で榛名さんとの共演が決まった時は、小さい頃から知っていたせいか、上級生というより「ショーちゃん(榛名さんの愛称)」という感じでした。上級生と下級生の厳しい上下関係もなかったのはよかったですね。榛名さんは包容力があって体が大きくて、見た目のバランスもちょうどよかったと思います。 榛名 気心が知れてるし信頼し合ってるから、お互いに「やりたいようにやろうね」と言って。私は『ベルばら』で、庭園のベンチに座って、ミキちゃんを膝枕しながら「星がキレイだ」とセリフを言うシーンが一番好きなんだけど、舞台袖のカーテンの陰に隠れて下級生が見に来るのよ。 「アンドレとオスカル、どんなラブシーンしてんねやろ!?」って(笑)。それほど仲間たちも興味を持って見ていたのね。 植田先生が「まわりの人をもファンにさせる、興味を持たせる。そうやって内輪で盛り上がるのも大事や」とおっしゃっていたけれども、こういうことかと思いました。皆をワクワクさせる2人だったんだと思います。 安奈 私たちを支えてくださっていた上級生の存在も大きかったですよね。たとえば『ベルばら』でポリニャック伯爵夫人の役をやっていらした神代錦(かみよにしき)さん、私のお父さん・ジャルジェ将軍を演じてくださった沖ゆき子さん。 みなさんすごく上級生で演技が本当にうまくて、包容力がありましたね。そういう素晴らしい方たちがいたからこそ、私たち2人が際立った。 榛名 本当にその通りね。多才な先輩たちがいらしたから作品に厚みが出た。支え、助けていただいたとしみじみ感じます。
◆安奈さんの母親に榛名さんが死に化粧を 安奈 榛名さんと巡り合って60年以上になり、私は今年、喜寿を迎えます。あらためて言うのもおかしな感じですが、これからもずっと、最後までお友達でいてほしいと思っています。 榛名 こちらこそですよ。 安奈 うちの母が58歳で亡くなった時、私は東京で舞台に立っていてお葬式にも出られなかったんです。急に亡くなったので父はパニック状態になっていて、榛名さんが看取りから葬儀まで全部仕切ってくださったんですよね……本当に感謝してもしきれません。(ハンカチを目に当てながら)今こうして話していても胸が詰まります。 榛名 私が宝塚で『新源氏物語』の舞台に立つ直前でした。お母さんの容体が急変したと聞いて、急いで神戸の病院に飛んで行ったんです。お母さんが亡くなって、自宅マンションに連れて帰ることになったんだけど、横に寝かせたままだとエレベーターに乗せられない。それで立った姿勢で私と抱き合うように乗せてね。 家に着いてから、妹さんと一緒に死に化粧をして……。ああ、この話をすると今でも涙が出る。私もパニックになっていたけど、ミキちゃんの代わりにやらないといけないって、ただその一心でした。 退団後、女優・安奈淳として新たな一歩を踏み出したところだったから、頑張ってほしいという気持ちしかなかったのよ。 安奈 私はその頃から体調を崩していて、母が亡くなったことで精神的にも落ち込んで、あまりいい時期ではなかったんですよね。その後、入院もしたし。 榛名 私もミキちゃんの3日後に入院しました。忘れもしない2000年。2人とも救急車で運ばれてね。お互い死にかけていたから、相手が入院していることを知らなかったの(笑)。植田先生が、「病院のハシゴやわ!」と言いながらお見舞いに来てくださったのを覚えています。
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