宝塚『ベルサイユのばら』初演から50年!初代と2代目オスカル、榛名由梨と安奈淳が語る「母に榛名さんが死に化粧を」「3日違いで救急車で運ばれて…」
〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉 宝塚歌劇の金字塔とも言える『ベルサイユのばら』は初演からちょうど50年。日本中の老若男女を熱狂させ、社会現象を巻き起こした同作は、現在に至るまで繰り返し上演されている。その黎明期に一大ブームを生み出した「ベルばら四天王」のうちの二人、榛名由梨さんと安奈淳さんが〈あの日々〉を振り返った(構成◎上田恵子) 【写真】2019年『ベルサイユのばら 45~45年の軌跡、そして未来へ~』の豪華なステージ * * * * * * * ◆中1と小5での運命的な出会い 榛名 私たちの出会いは、子どもの頃にさかのぼります。2人とも宝塚音楽学校の中にある、小学4年生から中学3年生までが通える日曜教室「宝塚コドモアテネ」で、声楽・バレエ・日本舞踊を習っていました。 私は宝塚好きの両親の勧めで中学1年で入って、ミキちゃん(安奈さんの愛称)は小学5年生だったかな。2歳違いだったから、出会った時は話していないんだけど。第一印象は色が白くて、おとなしそうで、本ばかり読んでいるイメージだった。 安奈 よく覚えてますね。(笑) 榛名 記憶力には自信があるのよ(笑)。そこの渡り廊下にピアノがあって、あなたが上手にピアノを弾いていたの。それを見た時に、「すごくかわいらしい少女がいる。あの子が宝塚に入ったら絶対にスターになる!」って思ったわ。また指が長くてねえ。手が大きいのかな? 安奈 そう、大きいんです。 榛名 宝塚に入ってからは、安奈さんのほうが先にトップになって、私は何年か遅れてトップをさせてもらいました。安奈さんの印象は、その後もずーっと最初の頃のまんま。宝塚のフェアリー(妖精)そのものでした。
安奈 言いすぎ、言いすぎ(笑)。榛名さんの第一印象は、発表会で披露された「元禄花見踊り」という日舞ですね。ものすごくキレイで、「わあ、上手に踊っている人がいるなあ!」と思いながら見ていました。 私がアテネに入ったのは、榛名さんと同じく、両親が宝塚のファンだったから。生まれると同時に「将来は宝塚に」と、進路を決められていたんです(笑)。特に父が宝塚が大好きで、母も受験したかったそうなんですが、親に反対されて娘に夢を託したんですね。 で、私も素直に従って。絵を描くのが好きだったので、内心では「美術を学んで絵描きさんになりたいな」と思っていたんですが。 榛名 でも宝塚でトップになったんですもの。すごいですよ。 安奈 私が舞台に出る時は両親揃って観に来てくれたのですが、家に帰ってもそれを言わないんです。でも客席で父は目立つんですよ、おでこが広くてピカーッと光ってるから。それで同級生が「あんた今日、お父さん観たはるで」って(笑)。両親とも何も感想を言わない人たちだったので、気がラクでした。 榛名 私は幼稚園の園長先生に、「正代(まさよ)ちゃん(榛名さんの本名)は大きくなったら何になりたいの?」と聞かれると、その頃から「宝塚のスター!」と答えていました(笑)。当時、関西で育った人が見る美しいものの象徴が、宝塚だったんですね。 うちも特に父親が宝塚好きで、関西学院大学在学中、授業をサボって舞台を観に行ってたというくらい。音楽学校の参観日にも必ず来てくれて、本当に宝塚を愛していました。家でも宝塚の主題歌を口ずさむような環境だったので、自分が入るのは当然だと思っていたわ。 安奈 そういう意味では、お互いに親孝行しましたね。(笑) 榛名 本当にそうよ。
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