“火の玉”で折れた右手、止まらぬ冷や汗 ベンチから聞こえた“怒号”「力も入らない」
天谷宗一郎氏は阪神・藤川からファウルした際、右手首を痛めた
広島の本拠地がマツダスタジアムに変わった2009年、元赤ヘル戦士の天谷宗一郎氏(野球評論家)は規定打席には届かなかったものの、317打数95安打の打率.300をマークした。この年で手痛かったのは、5月中旬から約2か月、怪我で1軍から離脱したことだ。「状態がよかったので、もったいなかったとは思います」。阪神・藤川球児投手の“火の玉ストレート”をファウルした際に右手有鉤骨を骨折したという。 【画像】元広島外野手の妻が大開脚で大胆ポーズ「きれいすぎ」 プロ7年目の2008年に1軍に定着した天谷氏にとって、8年目の2009年はさらにジャンプアップしたいシーズンだった。開幕・巨人戦(4月3日、東京ドーム)には「8番・右翼」で出場し、4打数1安打。2カード目には3番で起用されるなど、マーティ・ブラウン監督率いる広島に欠かせない戦力になった。4月30日の巨人戦(マツダ)から5月4日のヤクルト戦(マツダ)まで4試合連続2安打を放つなど、調子も上がっていた。そんな時にもまたも怪我が邪魔をした。 「3番・右翼」で出場した5月13日の阪神戦(甲子園)、延長10回表の第5打席だった。マウンドには阪神の“火の玉ストッパー”がこの回から上がっていた。その日の天谷氏は4打数2安打と状態も悪くなかった。だが、アクシデントが待っていた。「初球だったかな。ファウルした時にバキッとなって……。右手はもう握れなくて、左手一本で支えている感じだった。冷や汗が出てきて、で、次待とうと思って待って……」。 天谷氏はまともにバットを握っていない状態でセーフティバントを考えたという。「それなら(左手)1本でできるかなと思ってね。ボールだったんで(バットを)引いたんですけどね。そしたらベンチから(打撃統括コーチの)内田(順三)さんの『何やってんだぁ、打てぇ』みたいな感じの声が聞こえてきたのも覚えていますね。でも、やっぱりそれどころじゃなくて……。で、結局フォアボールだったんです」。 一塁に歩いた天谷氏は永田利則一塁コーチに「たぶん(右)手が折れました」と伝えたという。「永田さんは『嘘やろ』みたいな……。『でも動きません』ってね。そしたら次の(4番打者の)栗原(健太)さんが左中間を破ったんで、ホームまで全力で走りました」。広島が2-1とし、その裏を広島・永川勝浩投手が締めて勝利をつかんだが、10回裏の守りに天谷氏の姿はなかった。「生還してグラブをはめてみたら、入らないんですよ。力も入らないし……」。