“火の玉”で折れた右手、止まらぬ冷や汗 ベンチから聞こえた“怒号”「力も入らない」
右手有鉤骨の骨折で約2か月間の離脱…規定不足も打率.300
交代するしかなかった。翌日(5月14日)、病院に行ったら、案の定、右手有鉤骨の骨折と診断され、登録抹消となった。打率.300、2本塁打での離脱だった。「これに関しては、ずーっと右手が痛かったんですよ。突発的なパチンではなくて、いつか大きな怪我をしそうだなぁって分かった上でやっていたので納得はできました。ただ、その年がマツダスタジアムの初年度でオールスターもあったので、あの状態でいっていれば出れたかなというのはあったんでねぇ……」。 1軍に戻ったのは7月15日。「怪我をして3軍。あの頃、3軍から2軍に上がる時に連続ティーをやらなければいけない。やって段階を踏んで戻らなければいけないというのがあったんですけど『試合では打てます。ただ連続ティーをすると手首が痛いので何とか許してもらえませんか』と2軍に上がるのを早めてもらったり、けっこう無茶も聞いてもらったんですよ」。周囲のバックアップも受け、天谷氏は1軍復帰後も怪我前と変わらぬ勢いで結果を出していった。 7月18日からは、出場14試合連続安打をマークした。8月4日の巨人戦(旭川)では5打数4安打。安打、二塁打、安打、本塁打で迎えた第5打席は遊飛に倒れたが、三塁打ならサイクル安打だった。「亀井(義行)さんに打たれてサヨナラ負けした試合ですよね。あの時は三塁打を狙ったんですよ。右中間に、と思って打ったら力みあげて内野フライだったんですけどね」。そのまま9月、10月も駆け抜け、規定打席不足ながら故障離脱前と同じ打率.300でフィニッシュしたのだ。 「2009年は規定打席にのりたかったなぁっていうのはあるし、怪我をしていなかったら、どれくらいの成績を残したのかなぁっては思います。でも悔いはないですよ」と話すが、これも運命だったのだろうか。まさしく何とももったいないシーズンだった。
山口真司 / Shinji Yamaguchi