感染者の増減だけを伝えることに疑問を持っていた――日テレ・藤井貴彦の「仕事」
自然には、私たちが考える時間的な区切りは通用しない
11年間続く番組の中で培ってきた、手ぶらでいることの大切さ。 痛感したのは、『news every.』がスタートして1年後に起こった東日本大震災だったという。3.11は、藤井のアナウンサー人生においても、大きな意味を持つ。 「以前は、何か災害ニュースを伝える時、視聴者が注目する、例えば火事なら激しく延焼しているような映像を中心に構成していたと思います。しかし、東日本大震災の取材では、現地で圧倒的な被害を目の当たりにして……ここではテレビマンとして生きてはいけないと思いました。まずは、命を助けること。1日でも早く現場の皆さんが、今までの生活を少しでも取り戻せるために何ができるか、これを最優先に考えたいと思いました」 藤井はいつもスタッフに、『現場を荒らさないように。人の不幸で飯を食わないように』と伝えているという。被災地でもすぐにカメラを回すことはせず、自分の目で確かめてから、きちんと会話をし、取材の意図を相手に伝えることを徹底した。 「報道被害やメディアスクラムという言葉もありますが、私たちは加わらないようにとスタッフにもお願いをしている、この10年です。これは東日本大震災で教えてもらったことです。全部をひっくるめても報道被害という言い方もできるかもしれない。『お前らもそうだろ』とよく言われることはありますが、長く取材している方はそのことを分かってくれています」 10年前、藤井が被災地で取材した中には、今でも連絡を取り続けている人たちがいる。彼らから送られる近況や被災地の様子を心に留め、地方系列局のアナウンサーたちとも連携をして、情報をアップデートしてきた。 「10年と言うと区切りのように思えるかもしれません。しかし、当時震災から1カ月経った時に現地から中継をしていたら、とんでもない余震に襲われたことがありました。そこで思い知らされたんです、自然には、私たちが考える時間的な区切りは通用しない。先日も震度6強の地震が東北地方を中心にありました。少しずつ防災への意識が薄れるなかで、なんとかもう一度目覚めていただけないかという気持ちで、毎年お伝えしています」 ニュースも伝え方一つで、人々に希望を与えることができる。 藤井貴彦は、実直に経験を積み重ねてきたからこそ、優しい言葉を紡ぐことができる「手ぶらの男」だ。 ちなみに、フリーランスになる予定は(今のところ)ない。 「いや本当に、オファーもありませんから(笑)。たぶんそういうオーラがないんでしょうね、私は。とにかく、一つひとつの機会を大切に、いただいた仕事を100%以上にして返す。たまにゴルフをして、夜はお酒を飲み、楽しんで寿命をまっとうしたい、そういう心境です」 --- 藤井貴彦(ふじい・たかひこ) 1971年東京都生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業後、1994年日本テレビ入社。『NNNニュースプラス1』、『ズームイン!!サタデー』、スポーツ中継などの担当を経て2010年から『news every.』のメインキャスターを務める。東日本大震災から10年となる3月11日には、『NNN未来へのチカラ ミヤネ屋×every.×zero×バンキシャ!特別版』(13時55分~19時放送)に出演する。