ハリルが反論会見で明らかにした確執のあった2人とは誰なのか?
推測の域を出ないが、不満を募らせていた選手が約半年ぶりに代表復帰を果たし、マリ戦の後半途中から投入された本田だとすれば――田嶋会長はロシア大会代表の当落線上にいる一選手の声をもとに行動を起こし、本番まで2ヵ月あまりという段階で代表監督交代というリスクを選んだことになる。 八百長疑惑の渦中にいたハビエル・アギーレ監督が解任され、日本サッカー界が少なからず動揺していた2015年3月に、ハリルホジッチ氏はJFAからのオファーを受諾した。しかし、いま現在に至る3年あまりの間に、JFAの体制は大きく変化している。 翌2016年3月に第14代会長として田嶋氏が就任。史上初の会長選を争い、僅差で敗れた原博実専務理事を二階級下の理事へ降格させる人事案を作成し、結果として原専務理事はJFAを離れてJリーグ副理事長に転じた。 同時に技術委員会のトップにも、J1監督として歴代最多の270勝を誇る西野氏を招聘。それまで委員長を務めてきた霜田正浩氏(現J2レノファ山口監督)は、ナショナルチームダイレクターの肩書こそついたものの一介の技術委員へ実質的に降格し、2016年11月には辞職している。 実はこの「原専務理事‐霜田技術委員長」のラインこそが、ハリルホジッチ氏の招聘を実現させている。特に自宅のあるフランス北部のリールを訪れ、日本代表監督就任を要請した霜田氏を公式戦でベンチ入りさせるほど、ハリルホジッチ氏は絶大なる信頼を寄せていた。 だからこそ、体制が一新された技術委員会との距離が開き、サポートがなくなったと感じ続けていたのか。4月9日の解任会見で田嶋会長が「技術委員会がコミュニケーションの修復を試みた」と言及したことに対して、語気をやや強めながら否定している。 「誰も私のオフィスに来て話をしていない。私は(技術委員会の)存在すら知らなかったし、後から加わった西野さんはあまり多くを語らない人で、コミュニケーションは非常に少なかったかもしれない」 ハリルホジッチ氏の言うオフィスとは、就任後すぐにJFA内に設けさせた監督室を指す。歴代の代表監督と異なり、平日はほぼ常勤だった自身と同じビル内にいながら孤立状態にあった、とほのめかしながらハリルホジッチ氏はこう続けた。 「本当に何か問題があったとしたら、会長が事前に『どうするんだ、ハリル』と言ってくれればよかった。(JFAは)解雇する権利をもっているから、会長の判断は問題ない。私がすごくショックを受けているのは、前もって誰も何も教えてくれなかったことだ」 随所に主観を交えながら、前日本代表監督として成し遂げてきた仕事の説明に実に50分近くの時間が割かれた。余波を食らう形で質疑応答がわずか4問で終わった反論会見で浮き彫りになったのは、解任理由に対する両者の齟齬。そして、実名こそ明かされなかったものの、本田と香川、特に前者が胸中に抱いていた不満が、未曽有の騒動の原点ではないかと文脈から推測される後味の悪さだった。 (文責・藤江直人/スポーツライター)