“初代虎”佐山サトルが故小林邦昭さんを追悼「僕の動きは小林さんに作ってもらった」【SSPW】
「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.30」(9月26日、東京・後楽園ホール)で今月9日に亡くなった元プロレスラーの小林邦昭さん(享年68歳)の追悼式が行われた。 式には小林さんと数々の名勝負を繰り広げた初代タイガーマスクの佐山サトル、「過激な仕掛け人」こと新間寿氏らが参加した。 佐山は「17歳から18、19、20歳と、このリングの上で小林邦昭さんと最高の試合を続けて参りました。小林さんは僕を後輩でありながら引っ張り上げてくれました。亡くなる1週間前に“俺たちいい試合したよな”と話しました。小林さんは僕にとって良きライバルであり恩人でもあり、僕のプロレス、タイガーマスクを作ってくれた人間でもあり。僕の動きは小林さんに作ってもらった。タイガーマスクの試合は若手の時代の試合をそのままリングで見せ合った。小林さんも今日、この会場に来ていると思う。僕はプロレス界を新間さんとともにもっと盛り上げていきたいと思います」などと追悼の言葉を述べた。 小林さんは1982年にメキシコから凱旋帰国すると新日本プロレスで初代タイガーマスクの宿敵として、得意技のフィッシャーマンズスープレックスを武器に名勝負を繰り広げた。初対戦からマスクはぎの暴挙をはたらき一気にライバル関係がヒートアップ。藤波辰爾vs長州力と並ぶ黄金カードとなった。
新日を離脱し全日本プロレスに参戦時は二代目タイガーマスクを相手に虎ハンターとして活躍。新日にUターン参戦するとザ・コブラと抗争を繰り広げ、獣神ライガーのデビュー戦の相手を務めるなど常にジュニアヘビーのトップ戦線で長く活躍。IWGPジュニアヘビー級王座、NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座、世界ジュニアヘビー級王座を獲得している。 この日、ストロングスタイルプロレスに初参戦した新日本プロレスの永田裕志は試合後に「今日僕がこのストロングスタイルプロレスに参戦できるようになったのも、最初、小林邦昭さんが僕を佐山先生に引き合わせてくれたのがきっかけ。32年前、僕が蹴りを覚え始めたとき。“佐山のところに連れて行ってやるよ”と大宮のジムに連れて行ってくれて、そこで手ほどきを受けたのが最初。そこから何度か教えを請いました。いろいろな会場でお会いした時に佐山先生に声をかけていただけるようになって。佐山先生がUFOの一員として新日本プロレスに来られた時も猪木会長と毎朝、闘魂棒を持ってトレーニングをやったり。その合間に総合格闘技の練習もやらせていただいたり。蹴りだけではなく相手をテイクダウンする技術を教わったり。それもすべて小林さんが僕を佐山さんに引き合わせてくれたことがきっかけ」などと小林さんを偲んだ。