『墓泥棒と失われた女神』アリーチェ・ロルヴァケル監督 マジックはリアリティのなかにある【Director’s Interview Vol.422】
マジックはリアリティのなかにある
Q:アーサー役にジョシュ・オコナーを選んだ理由は? あなたの映画のファンである彼が、熱のこもった手紙を書いてあなたに送ったと聞きましたが。 ロルヴァケル:そうなんです。じつは脚本を書いているときは、もう少し上の年齢の人物を想像していました。でもジョシュに会って、彼には成熟したところと、どこかオールドスクールなところがあると感じた。考古学と古いものにとらわれている感じがぴったりくると。それからはジョシュ以外には想像できなくなった。彼のおかげで、80年代の物質主義的な世界のなかで居場所を失った、メランコリックでロマンティックな、でもどこか滑稽でもあるヒーロー像が形になっていきました。 Q:新鮮でありながらどこか懐かしいような、不思議な魅力に溢れた作品です。あなたの映画はしばしば「マジックリアリズム」と評されますが、ご自身ではどう思われますか。 ロルヴァケル:それはわたしもよく耳にします。でも自分でそれを意識したわけでも、それを目標にしているわけでもないです。わたしのアプローチは、わたしが現実のなかで見るものに即しています。そしてリアリティのなかにあると、わたしが信じているマジックを掴んで語ることです。ですからわたしが身近に感じる不思議なこと、驚くべきことを、わたしの視点を通して描いているだけで、ことさら何かファンタジックなものを付け加えているつもりはないのです。
不意に美が湧き起こるための余地を残す
Q:本作は映像もとても特徴的です。ときどきあえて露出過多であったり、あるいは粒子の粗い古い映画のような温もりがあったり、質感もシーンによって異なります。さまざまなフィルムを使い分けたそうですが、そのこだわりについて教えてください。 ロルヴァケル:もともとわたしが監督になろうと思ったのは、自分は文章では表現できないけれど、映像なら語ることができると感じたからなのです。それで映像にはいつもこだわりがあります。でも本作で避けたのは審美的なレトリック、つまり映像美を追求するための映像にはしたくありませんでした。そうではなく、わたしが求めたのは、人生や、生を表現すること。もちろんそこに美は存在しますが、美を追いかけるわけではない。美は我々を驚かせるものです。それが予期せぬ出会いであればあるほど、我々を魅了する。だからそれを探したり、追いかけたりしてはいけない。今日、若い世代の監督たちは、イメージをコントロールすることに執着しすぎて、結果的に自分たちのやり方にがんじがらめになっていると思います。もちろんコントロールもときには必要ですが、「人生」が入ってくるための余地を残しておかなければなりません。不意に美が沸き起こるための余地を。 Q:16ミリカメラから35ミリまでカメラを使い分けたり、ときどき逆さに映したりしたのはなぜですか。 ロルヴァケル:カメラを逆さに使用したのはアーサーのシーンですが、彼は人と異なるパースペクティブを持っているからです。彼は地下にあるものを探知できるし、地下から地上を見たりできる。逆さに映すことで彼の特異な能力を表現しようと思いました。また3つの異なるフィルム(*16ミリとスーパー16ミリ、35ミリ)を使用したのは、それぞれの特性に合わせて異なる質感をもたらしたかったから。35ミリはどっしりとしたフレスコ画のようなスケール感をもたらすし、スーパー16ミリはヌーヴェル・ヴァーグのように、ライブ感を出すときに適している。さらに小ぶりな16ミリ・フィルムは、鉛筆で書いたメモのような淡い記憶を彷彿とさせる。それぞれのシーンに合わせたフィルムを、撮影監督のエレーヌ・ルヴァールと相談して選びました。ルヴァールとは、わたしの最初の長編である『天空のからだ』(11)からずっと一緒に仕事をしてきて、まるで一心同体のように心が通じ合うのです。
【関連記事】
- 『幸福なラザロ』現代に「イノセント」を受け入れてくれる場所はあるのか?
- 『HOW TO BLOW UP』ダニエル・ゴールドハーバー監督 みんな自分の見たいものしか見ていない【Director’s Interview Vol.413】
- 『蛇の道』黒沢清監督 オリジナルを知っている自分だけが混乱した【Director’s Interview Vol.412】
- 『ブルー きみは大丈夫』ジョン・クラシンスキー監督 大人を虜にするための鍵はノスタルジー【Director’s Interview Vol.411】
- 『ドライブアウェイ・ドールズ』 イーサン・コーエン監督&トリシア・クック 型破りな夫婦関係ですべてを一緒に決断 【Director’s Interview Vol.408】