夭逝の画家・中園孔二の記憶を訪ねて。『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』著者・村岡俊也インタビュー
それぞれの中に生きる中園孔二に会いにいく
──初めて中園さんの作品を見たとき、怖さを感じました。狂気的なのにピュアな印象もあり、美術史やテクニックではなく肉体的な感覚を受けました。本の中でもつねに好んで危ない場所に行くなど、中園さんは少し死に憧れていたところがあるのかなと感じます。 希死念慮のようなものがあったといった証言や、中園さんの残したノートにも、そういう記述は確かにありました。ただ「エピソードだけでは伝わらない」のと同じで、ここでも「希死念慮」ということにとらわれないようにしたつもりです。20代前半の若者、とりわけ創作にかかわるような人なら、若さゆえの破滅願望のようなものとは無縁ではないはず。もちろん楽しい時間もたくさんあるなかで、時折、生と死が即座にひっくり変えるような危険な場所に中園さんは身を置き、死の世界を垣間見ようとしたのではないか。作品にも、そういう世界観が表現されているように思います。 ──お会いしたみなさんとの印象的なやりとりはありましたか? みなさんそれぞれに特別な思い出があって、書きたくても、枚数などの都合で盛り込めなかったものもあります。藝大の同期生だった稲田禎洋さんは中園さんと多くの時間を過ごし、取材でたいへんお世話になりましたが、良き理解者であるからこそ、あまり多くを語ろうとしませんでした。稲田さんが自宅に招いてくれたことがあったのですが、「中園くんといると『いい時間』になるんです」と話して、手料理でもてなしてくれ、好きな音楽をかけ、大切なことをお話します、といったスタイルで、あのとき、「いい時間」がどういうものだったかを追体験させてくれたのだと思います。「中園さんと一緒の時間は、こんな感じだったんだろうな」って。 また、藝大で同じ油画専攻だった同期生ふたりに話を聞いたときには、途中から芸術談義となり、こういう議論を中園さんも浴びていたんだろうなと想像しました。みなさんの中に中園さんがまだしっかり生きているんです。中園さんについて話を聞きながら、それぞれの中で生きている中園さんに会わせてもらっているような感じでした。 ──村岡さんがいままで行ってきた取材とは違いましたか? これまではアスリートなど当事者にインタビューをしてきて、生前お会いしたことのない人のノンフィクションを書くのは初めてだったので、自分の中に中園さんをどうやって立ち上げるか考えながら取材していました。亡くなって8年というのは、話を聞けるぎりぎりのタイミングだったと思います。記憶が薄れているわけでなく、かといって言葉に出来ないほど直近のことでもない。当時、交わした会話やどういう状況だったか、みなさんはかなりはっきり憶えていて、だから証言集のような評伝になったと考えています。 ──みなさん中園さんに対して多様な感情を抱いていたと思いますが、共通していると感じられた部分はありましたか? 多くの人が語っていたのは「中園くんは一人ひとりと向き合い、一対一の付き合いをする」ということでした。群れて同調することなく、一人ひとりと芯のところで触れ合っていた。もちろん、絵に関して衝突することや嫉妬されたりすることもあったようです。でも、うそやごまかしがないから、記憶に刻まれ、忘れられない思い出を残したんだと思います。中学3年の個人面談の日はものすごく暑くて、担任の先生にペットボトルのお茶を差し出したという話を書きましたが、それは機嫌や大人の顔色をうかがう優等生の振る舞いなんかではなくて、中園さんだと鼻につかないんですよね、打算でやってないから。相手の中にすっと入っていけてしまう。