夭逝の画家・中園孔二の記憶を訪ねて。『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』著者・村岡俊也インタビュー
エピソードだけでは伝わらない本質を伝える
──中園孔二さんを検索して「Tokyo Art Beat」を訪れる方がとても多く、「中園孔二 ソウルメイト」展のレポート記事もたくさんの方に読まれています。作品の持つ底知れない魅力、ミステリアスな人物像が人を惹きつけるのだと思います。 今後ますます中園さんの作品が注目を集めることが予想されるなか、初の評伝『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』が発刊されました。私も早速読みましたが、ヒリヒリとして透明感のある作品がどのように生み出されたかがわかり、証言する方々が「こんな人だったんだよ」と隣で教えてくれるような一冊で感動しました。まずは村岡さんの中園さんとの出会いと、この本を作るまでの経緯を聞かせていただけますか。 中園さんの作品を初めて見たのは、2018年の横須賀美術館での個展でした。アートは専門ではないんですが、彫刻家の森淳一さんが東京藝大の卒展で中園さんの作品を見て「天才がいるよ」と言っていたとの投稿を読んで、どうしても見なくちゃいけないと感じたんです。実際に作品を見たときは、よくわからない、というのが正直な感想でした。それでも作品には圧倒されて、引っかかるものがあったので、画集(『中園孔二 見てみたかった景色』、求龍堂、2018)を見返しては 「この引っかかりをなんとかしたい」とずっと思っていたんです。そんななか、地元の友人でイラストレーターの横山寛多さんが鎌倉にあった美大受験の予備校で美術予備校で中園さんを教えていたことを知り、なおさら興味がわきました。横須賀の個展から2年が経った頃、寛多さんから「中園さんの同級生に会って話をするたびに、『いい話』になるんです。一緒に中園さんの話をまとめて冊子のようなものを作りませんか?」と言われて、すぐにやろうということになりました。 ──ご家族や友人、元彼女から大学時代の恩師まで、網羅的に取材をされています。何名に取材されたのでしょうか。 40名ぐらいでしょうか。会えなかった人もいますけれど、それぞれの時代で深く関わった人たちに貴重な話を聞けたと思います。インタビューに応じてくれた人たちに話を聞くべき人を相談したり、あるいは次はこの人に話を聞いてみたらと紹介していただくこともあり、取材先が広がっていきました。取材を進めていくと、新たに知りたいことが生まれ、インタビュー中に名前のあがった人に「会って話を聞きたい」と数珠つなぎのようにもなりました。 ──みなさんは言葉を尽くしていて、中園さんのことをそれぞれずっと語りたかったんだと感じました。 友人や知人たちは「中園くんのことを知ってほしい。書くなら正確に伝えてほしい」といった思いで取材に応じてくれたのだと思います。なかには、すんなりとは応じられない人もいて、先に取材した人にあいだを取り持っていただき、話を聞かせてもらったこともありました。インタビューを受けたことのない人がほとんどでしたが、僕と会う前に整理してメモを用意してくれたり、とっておきの思い出を聞かせてくれたりしていました。中園さんの絵を見たことのない人に、彼の絵の素晴らしさを伝えるのが難しいのと同じように、本人に会ったことのない自分に、中園さんの良さを伝えるのも難しいことだと思うんです。たとえば「夜に山の中をひとりで、登山道具も持たずに彷徨い歩いた」といった中園さんのエピソードを聞くと、単純に「すごいな」「変わっている」と思うけど、彼を山に向かわせた衝動は何だったのかなど、エピソードの表面上だけではわからないことがある。貴重なエピソードを明かしてくれた人たちも、僕がその話の奥にあるものを摑める相手かどうか見ていたと思います。 ──みなさんが正直に語っているのも、村岡さんになら語って良いと判断されたんですね。相手によっては警戒されることもあるのではないでしょうか。 警戒されていたかどうかはわかりませんが、僕が生まれ育ち、いまも暮らしている鎌倉で中園さんは美大受験予備校に通っていたことや、中園さんのご実家近くに住んでいること、それに中園さんが遊び場にしていた山や鎌倉の海に僕も親しんでいることは大きかったと思います。たとえばインタビューで「カマケン(美大受験予備校の略称)があった場所」「夜を徹して友達と語り合った鎌倉駅前のマック」といった場所や店は知っている。中園さんは高二までバスケに夢中で、独特の身体感覚があったようですが、僕は学生時代はサッカー、いまはサーフィンをやっていて、なんとなくその身体感覚がわかる。こういった共通点は中園さんのことを知り、理解するうえで役立ったと思います。 取材をすればするほど、中園さんがその時期どうだったか、その証として絵がどうなったかがわかってきて面白かったです。中園さんの作品について「絵は絵でいいんだよ」という人もいれば「絵よりも本人がいい」という人もいて、作家と絵の関係ってなんだろうと考えました。