【戦後80年】日本はなぜ戦争に? 引き返せなかった理由に「情報戦」「空気」「メディア」 いまを、戦前にさせないために
■専門家「大恐慌が非常に大きかった」
伊佐治局長 「日本がなぜ戦争に踏み切ったか。どこに焦点があったと考えますか?」 北岡名誉教授 「いくつものポイントがあるので簡単には言えませんが、非常に大きかったのは、私は大恐慌だと思いますね。日本が大陸に持っていた権益も色々脅かされた。実力で確保しようと軍が出てきて、満州事変が起こった。これが短期的には成功してしまったんですよね」 「やがて満州国(当時)という形にして、これを守るために中国との戦いをして、中国との戦いの行き詰まりを打開するために日米戦争となってしまった」 「何度も引き返すチャンスはあったと思います。しかし引き返すというのは、いくつか得たものを捨てるということですよね。日本はそういう判断はできなかった」
■なぜ戦争に? やめられなかった理由
伊佐治局長 「北岡さんの認識はこうです。まず世界恐慌がありました。経済の危機をきっかけに満州事変、そして日中戦争が起きました。中国との戦いがあり、行き詰った挙げ句、太平洋戦争でアメリカとの戦争に至ったとしました」 「さらに、当時の指導者が戦争をやめる判断ができなかった主な理由として、北岡さんは3つ挙げています。1つ目は情報戦での失敗。特に戦争末期、旧ソ連の仲介による和平の実現に固執して正しい情報が中枢に入らず、降伏が遅れたことです」 「2つ目は、モノ言えぬ“空気”です。多くの兵士を死に追いやったインパール作戦など、意味がないとわかっていても止められない旧日本軍の“空気”があったといいます」 「さらに3つ目は、メディアの責任です。政府の言論統制に抵抗できず、戦争の実情を正確に伝えなかったことなどを北岡さんは挙げています」
■ウクライナ侵攻の「兆し」は?
黒田アナウンサー 「『いまを、戦前にさせない』ために、私たちにできるのはどういったことですか?」 伊佐治局長 「まずは、戦争の兆しを見逃さないことです。過去に、戦争の兆しはどんなところにあったか。ロシアが2014年に国際秩序を無視してクリミア半島を力ずくで併合した時の国際社会の対応が、その後のロシアのウクライナ侵攻につながったとも言われます」 「中国の強引な海洋進出も、国際ルールに反する動きです。そしてアメリカも含め、大国が“自国ファースト主義”になり、国際協調を軽んじるという今の傾向も見逃せません」