あなたの周りに他人を罵倒し当り散らす自尊心の高い人いませんか? 40万部のベストセラー『人間通』を與那覇潤が紹介(レビュー)
書誌学者として知られた谷沢永一(1929~2011)さんは、辛口の人間批評家としても数多くの著書があり、中でも『人間通』(1995年初版、新潮選書)は、文庫版も併せると40万部を超えるベストセラーとなり、今なお現役のロングセラーでもある。 社会で重んじられる人になるために必要なのは、ただひとつ――「他人(ひと)の心がわかること」と説く本書は、「悪口」「嫉妬」「臆病」「評判」「自尊心」など96の項目から人間について深く鋭い人間観察を繰り広げる。 刊行から40年近くにわたり読まれ続ける本書の魅力を、中堅世代の評論家・與那覇潤さんが自身を重ねながら読み解いた。
與那覇潤・評「「隙」からにじみ出る大人の哀歓」
昔の知りあいに会うと、「どんな風に暮らしているんですか」と訊かれることが多い。数えてみればもう来年には、所属なしで文章を書く今の仕事が、わが人生で最長の「キャリア」になりそうだ。そろそろ自分のスタイルとして、「職場」での過ごし方を披露してもよい頃だろう。 端的には、鼓腹撃壌の生活をしている。朝食と洗濯干しが終わる午前9時の前後から、昼食までのあいだだけ原稿を書く。気候が穏和なら公園に出て、集まる人の姿に平和を感じつつ昼食をそこでとり(ついでに一缶くらいアルコールを空け)、買い物を済ませて帰ったら昼寝する。夕方に起き出して洗濯ものを取り入れ、そのあと夕食を店で飲むか自室で飲むかは、昼間の酔いの残りぐあいで決める。 いわば未来志向のビジネスパーソンに人気の「1日3時間労働」である。本書で最も洞察力を感じるコラムに倣えば、まさにあるべき自尊心の持ち方とも呼べそうだ。 自尊心には三種類ある。第一種は己れの器量と業績を冷静に自己評価し、十分な満足感を以て自認自足している静謐型である。(「罵倒」本書123頁) 前から不思議なのだが、メディアで「1日3時間労働」が来るべき理想社会だと託宣を述べる人たちは、私と異なりちっとも静謐でない。講演会やテレビに出てのプレゼンを一日中はしごして、移動の合間もSNSで多忙ぶりをPRし、帰宅後は課金ユーザーに向けて動画の配信だ。 どう考えても当の本人が、むしろ1日21時間くらい働いているとしか思えない。谷沢風には、自尊心の第二種である「けたたましく騒がしい宣伝屋(チンドンヤ)」のタイプだろう。 ところが続きを読むと、ちょっと怖くなる。なぜ人がチンドン屋になるかといえば、「自尊心は人に倍して高ぶっているのに、誰も認めてくれず褒めてくれないものだから、自分を大映し(クローズアップ)すべくさまざまな舞台装置をしつらえる」。 私だって本当に静謐型なら、好んで自分の暮らしぶりを開陳する必要はないのに、わざわざこうして書いてしまったのは、心のどこかで注目を欲しているからだ。 さらに恐ろしいのは、堕落した最悪の形態の自尊心として位置づけられる第三種である。「遠く近くの多少とも関係ある他人の群像を罵倒して自ら高しとし快とする当り散らし屋」。 まずい。故あってのことではあるけれど、私も昔の同業者にあたる歴史学者や大学教員を気の向くまま論説で痛罵していたら、旧友からの誘い自体が減ってきた(詳しくは拙著『歴史なき時代に』朝日新書)。でもやっぱり快楽だから、ついやっちゃうんですけどね。 冷静になると、谷沢さん自身だってこの本の中で、いろんな人を罵倒している。特に嫌いなのが北村透谷だ。一般にはロマン主義に殉じた純情な詩人とされており、文学史の明治のページには必ず載っている。