あなたの周りに他人を罵倒し当り散らす自尊心の高い人いませんか? 40万部のベストセラー『人間通』を與那覇潤が紹介(レビュー)
しかし本書では、透谷こそが「自分たちだけが秀れた眼識を有するのだと誇示するために先祖と同朋を蔑み卑しめ指弾してやまぬ」、悪しき日本のインテリの原点だと貶される。「自尊心の発作が歯止めを失った屈折と倒錯と卑屈の乱痴気騒ぎ」とまで書くのだからボロカスだ(126頁)。透谷の異様な処女崇拝や、世間知らずの恋愛礼賛も採り上げてその矮小さを突くなど、容赦がない(59頁以下)。 こうした論調からも察せられるように、谷沢さんは政治的には「右」の識者だった。巻末の桂文珍師匠との対談でも「戦後の自虐史観にのっかっているんですよ。日本人が楽観的な明朗さを失ったのは、朝日新聞とNHKの罪です」と放言している(224頁)。そこだけ切りとると、なんともわかりやすく党派的な人にも見える。 ところが同じ陣営の人たちがせっかく右派系の教科書の編纂に漕ぎつけたとき、谷沢さんは間違いの多さに激昂して『「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する』(ビジネス社、2001年)まで出してしまった。「派閥に忠誠心は必須であるが、融通のきかぬ愚直は馬鹿にされる」と本書でも書いていたのに(130頁)、ずいぶん愚直である。 つまり『人間通』と題して本まで書ける人間観察の達人でも、いざその教訓を実践する段になると、コケてしまうのがまた人間的なのだ。自分でも失敗した体験があれば、人間かくあるべしといった警句を綴る際も、「そう立派にはいかないけどね」とこぼすボヤキが行間に染み入ってくる。それがユーモア交じりのペーソスを生む。 近ごろの人生論や自己啓発の書籍は、谷沢さんのような「隙」を感じないものが多い。文字面で粉飾されたライフスタイルの完璧さを演出だと見抜けない――通にはほど遠い読者を騙して、「人間を知らないままでいてもらう」ために作られているからだ。「人間は不完全だからAIに期待しよう」といったオチばかり流行る理由も、同じだろう。 そんな世相に疲れた人に、本書からにじみ出る大人の哀歓を煎じたい。人間のダメさは治しようがないけど、互いにそれを玩味しあえば、いつしか人生の良薬になる。 [レビュアー]與那覇潤(評論家) 1979年、神奈川県生まれ。評論家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に病気と離職の体験を綴った『知性は死なない』が話題となり、20年に斎藤環氏との共著『心を病んだらいけないの?』で小林秀雄賞。主著に『中国化する日本』、『平成史』ほか。最新刊は呉座勇一氏との共著『教養としての文明論』。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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