【闘病】「原因不明」続きで医師に精神病も疑われた「好酸球性胃腸炎」とは
一度治療を諦めかけるも、自分で調べた医師に会いに行った
編集部: それは辛いですね。 1128shioriiさん: 治療を諦めかけましたが、もう一度あらゆる情報をかき集め、ある論文をもとに、現主治医の先生の存在を知り、2016年3月に会いにいきました。 すがる想いで、これまでの経緯を伝えたところ「大変でしたね。お身体も本当にお辛いでしょう。診断がどうなるかはわからないけれど、色々と調べてみて一緒に少しでも元気になる方法を探しましょう」と言ってくださり、入院が決まりました。 編集部: その時のお気持ちを教えてください。 1128shioriiさん: 涙が出ました。そのまま入院し、約半年間、あらゆる検査をして、確定診断が改めてつき、ある程度のコントロールの方法まで身に着けることができました。 2016年の秋頃のことです。主治医の先生と出会えて、QOLが飛躍的向上を遂げ、人生が大きく好転していきました。 編集部: どんな治療を受けたのですか? 1128shioriiさん: 入院して、まずしばらく食事を中止すると伝えられました。絶食です。 私の場合、症状が始まってから2年半、ずっと炎症が起こり続けていたことになるため、まずはその炎症を鎮めるために、あらゆる刺激を排除したいと、赤ちゃんのための母乳代替食品と水分のみの生活になりました。 編集部: ほかに、どのようなことを行いましたか? 1128shioriiさん: さらに、特別な空気清浄設備のある個室に入り、空気からも食べ物からもアレルゲンが入ってこない生活をするとのことで、隔離生活になりました。 そうすることで、アレルゲンとなっている食べ物を断定し、その食べ物を除去することで、症状を少しでもコントロールできるようになるかもしれないということと、アレルゲン除去ができれば症状の発症も防げるので、ステロイドなどの薬を減薬、さらには0にできるように目指しますと説明されました。 編集部: その後、治療はどのように進んでいくのでしょうか? 1128shioriiさん: 隔離生活を一か月も続けると、体は本当に楽になりましたが、そのまま何も食べないわけにいかないので、食べられる食事を探す検査の日々が始まりました。 食べ物を食べてから症状が現れるのに、最長2週間と過程して、2週間の間一日三食、1~3品目だけを食べ続け、症状が発現しないかを探すというものでした。 その間に症状が出ると、もちろん摂取をやめ、一旦検査はストップし、炎症を止めるために、ステロイドなどを使った治療期間に入り、炎症がとまった後に、再現性があるか確認することもありました。そうして、食べられる物、食べられない物を調べていったのです。 編集部: かなり大変そうな日々でしたね。 1128shioriiさん: もちろん、そのほかにも、血液検査、内視鏡検査、CT、造影剤検査、カプセル内視鏡検査、副腎負荷検査、皮膚のプリック検査、ホルモン検査、あらゆる検査も同時並行で行いました。 検査結果などから、私は「筋層型」というタイプの可能性が高いと説明されました。筋層型だと、炎症が胃腸の腹腔側で起こっている可能性が高いため、上部・下部内視鏡の検査では炎症部位がほとんど見えず、診断が難しかったようです。 編集部: ステロイド離脱にも挑戦されたと聞きました。 1128shioriiさん: はい。吐き気や頭痛、発熱、皮膚がかぶれるなどの離脱症状もありましたが、無事にステロイド離脱もできました。 アレルゲンとなる食品も特定されたため、今はその食品を除去し、食事療法をしっかりと継続することで、症状をコントロールできる時間が格段に増えました。 今は食事のほとんどを自炊で管理することで、発作のようなものも年に一回以下にとどめることができるようになり、とても生きやすくなりました。 編集部: 治療中はどんなお気持ちでしたか? 1128shioriiさん: 医師をはじめ周りに理解してもらうことが難しく、とても苦しかったです。唯一、家族だけはいつも私の声を聞いてくれて、味方でいてくれたので、何度も救われました。 その当時26歳でしたが、結婚や出産をする友人もいて、一人、病室で何もできず、鳥かごの中で空を見る自分に絶望することもありました。本当に大変でしたが、食べられるものがあること、増えていくことの喜びはありましたね。 そして、命があること、食べられること、今日を過ごせることに感謝するようになっていきました。 編集部: 治療や闘病生活の中で、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。 1128shioriiさん: 現主治医の先生と出会えたときです。「よくなる方法を一緒に探しましょう」と言葉をかけてもらい、同じ目線で病気と向き合ってくれる医師がいるのだと感動し、また自分が苦しんできた症状を理解してもらえたことに涙が止まりませんでした。 後光が差しているように感じました。