【世界の野球11】突然の解雇通告、支えてくれたチームメイトの好意
【連載・色川冬馬の世界の野球~アメリカ編(11)~】 選手としてアメリカの独立リーグやプエルトリコ、メキシコのリーグでプレーし、その後代表監督としてイラン、パキスタンを指揮した色川冬馬さん(26)の連載。これまでの経験を通じて世界各地の野球文化や事情を紹介するとともに、日本野球のあるべき姿を探っていく。 《前回までのあらすじ》 大学4年で再びアメリカ独立リーグとの契約に挑戦し、2012年5月にテキサス州にある「リオグランデバレー・ホワイトウィングス」との契約を果たした色川さん。厳しい環境の中でアメリカ式のプレーやマネジメントを学び、今まで以上に野球の楽しさを感じながら成長する日々を送っていた。
突然の解雇通告
2012年6月の終わり、練習前にグラウンドのゴミ拾いをすることが日課になっていた私にクラビーが歩み寄ってきて、監督室に呼ばれた。監督は、私の契約書を片手に、眼鏡の上から私を覗き込み、力強い目で、解雇を言い渡した。 監督はこれまでのこと、現状、そしてこれからのことを語り、最後に私のサインの入った契約書を見つめながら「冬馬、よくやったよ。お前はまだ若い。お前はいいもの持ってるから、とにかく野球を続けろ。来年、楽しみにしてるよ」と言った。 実力がおよばず、悔しかった。チームメイトと別れる寂しさはあったが、不思議と私の気持ちは前を向いていた。練習が始まってしまうため、気持ちの整理をする時間はなかったのが、すぐに荷物をまとめ、チームメイト、クラビー、トレーナー、そしてグラウンドに挨拶へ向かった。とにかくお世話になった仲間に、ありがとうと言いたかった。
チームメイトからの温かい好意
今後の予定が全くない私に、数人のチームメイトが、住む場所を無償で提供してくれると言った。知り合いがいるからと、他チームの監督に話してくれるという選手もいた。どこまで本当かは分からないが、彼らの温かい心がとても嬉しかった。短い間だったが、ともに過ごした時間は非常に濃いものだった、と実感した。 数時間後、同じ日に解雇になった選手の車に乗り、テキサス州サンアントニオという街にたどり着いた。チームメイトの紹介で、温かい食事と、寝る場所を提供していただいたのだ。今思えば、見ず知らずの私に、なぜここまで温かいご好意をくれたのだろうか。