幼い娘3人を殺した29歳母親は“責任感が強く真面目”…「子殺しをする親」の多くが陥る心理状態とは|ルポライター・杉山春さんに聞く
“自分の子育ての基準”を選びにくい現代
事件前の遠矢被告については近隣住民の「(子ども)1人手を繋いで、いつも抱っこひもで。本当に両サイドに子ども、抱っこひもにも子どもみたいな状態で。子ども3人を『ワンオペ』ってなると、大変だと思うから」という証言も報道されています(FNNプライムオンラインより)。 忙しい毎日の中で育児の仕方に思い悩み、家事・育児について連日にわたってインターネット上で調べ続けるなか、被告は「私が母親でいいんだろうか」と自責していたことも明らかになっています。 「これは1970年代の記事ですが、ある子どもの虐待死事件を取り上げた月刊誌に『その家には、野菜を洗うタワシと鍋を洗うタワシと食器を洗うタワシがそれぞれ色違いにぶら下がっていた』ということが書かれていました。それくらいルールに縛られないと怖くて仕方なかった親の状況が、この文章からも伝えられます。 今は当時と比べると『親だってラクしてもいい』という考え方も広まっていますが、一方でSNS等を通じて『子育てとはこうすべき』というさまざまな内容を親たちが目にするようにもなり、その根拠も示されなくなっています。自分の基準というものを自分の頭で考えて選びにくい時代になってきているような気がします」
「自分が何かを感じることは許されない」という意識
さらに、時代とともに変化する生活様式と、前時代的な価値観のギャップに苦しむ親も多いといいます。 「現代は性別を問わず全市民が労働をしているにもかかわらず、『子育ては母親がするもの』という考え方に閉じ込められる女性もいまだ少なくありません。日々の労働に加えて育児にも全力で向き合っていたら、自分の時間はどんどんと失われていきますし、自分自身について考える時間や気力を確保することだって難しい。自分の意見を持つ余力がないと、自分の価値基準がない状態で子育てをすることになるので、さらに何かへ依存せざるをえなくなります」 杉山さんは、遠矢被告をはじめ児童虐待加害者となった親の多くが、社会的な規範に主体性を奪われてきたと語ります。親がアイデンティティーを失っていくことで子どもへ及ぶ危険性とは、どのようなものなのでしょうか。 「児童虐待は、子どもをコントロールしたいという親の欲求が原因となる傾向にあります。それらは加害者が抱える『そうしないと自分の世界が壊れてしまう』という恐怖心の裏返しであり、その背景には『そこまでしないと自分の世界が保てない』と思いこむ自尊心の低さがあるといえます。 少しでも自己肯定できる気持ちがある人なら、不利な立場に置かれたときに「イヤだ」とか「こんなのはおかしい」と思えるはずだし、“生きづらい”現状を打破しようと対策したり、声を上げることだってできるはず。逆にいえば、それを感じられないほど自分の言葉を奪われてしまった人たちが彼らだというわけです。 弱い立場にいると、自分が何を感じているのかさえわからなくなってしまう。『自分が何かを感じることは許されない』という意識が強まっていく。アイデンティティーを失った親のしわ寄せで、被害に遭うのはもっとも弱い立場である子どもなのです」