視聴ボイコットの動きも…テレビのニュースが「それでも毎日五輪ばかり流す」理由、人員削減も背景に
●合理化・人員削減のあおりを受けるニュースの取材・制作部門
このような状況で「ニュース取材・制作部門」は合理化と人員削減が続いている。その中でも「スポーツニュース制作部門」は特に縮小された部署の一つと言える。 かつての「スポーツニュース番組」が現在ではほとんどなくなってしまったことにお気づきだろうか。大谷翔平選手が登場するまで長らくの間、スポーツニュースはそれほど視聴率を取らなかったからだ。 放送枠は短くなり、ニュース番組の短いコーナーとして存在するくらいになっていった。スポーツニュース制作部門はどんどん必要性が薄くなり、縮小されていったのだ。だから、いざ五輪のような大きなスポーツイベントとなると、自力ではとても対応できない。 スポーツ局本体の人員は競技の放送だけでもう手一杯になる。報道局の各部署、各番組から多くの応援をもらってようやく対応できる。 五輪では、現地と東京に2つの「本部」が作られる。現地から送られてきた映像や情報などを一括して管理し、現地に指示を出しつつ原稿を書いたり映像編集をするのが東京の本部だ。この東京本部に多くの優秀な報道局の記者やディレクターが応援要員として配置される。 だから、スポーツ以外のニュースが発生したときに、取材・対応できる人員の数はかなり少なくなる。「スポーツニュース制作部門の極端な弱さ」によって、報道本体のニュース対応能力はかなり弱まるわけである。
●五輪の呪縛…横並びの競争から降りられないテレビ業界
そして、テレビが延々と五輪ニュースをやらざるを得ないもう一つの理由が重なる。それが「横並びの競争から降りられないこと」である。 五輪のニュースを報じるためには、開催国にかなりの数の人員を送り込まなければならない。そしてこの「現地本部」は、プレスセンターも現地スタジオもいわば「事前申請で各局の取り合い」となる。 このとき、「他局に差をつけられたくない」という横並びの競争原理が働く。 「五輪の現地に送り込む規模」を維持するためには、スポーツニュース番組がほぼ存在しない今となっては、各ニュース・ワイドショーが分担して「それなりの人員」を出すことがほぼマストとなるわけだ。 各番組が現地に送り出すのは「メイン級の出演者」と「エース級のディレクター」となるが、彼らが競技自体に触れることはほぼできない。五輪の競技映像は、オフィシャルの国際映像に限られるし、取材の自由は極めて少ないからだ。 それでは、現地に送り込まれた人がすることは、自然と周辺取材になってしまう。 会場周辺の盛り上がり、観客の反応、その他のサイドストーリーを取材して、中継でそのVTRを織り込みながら話すことになる。このようなシーンは視聴者もすぐに思い浮かべることができるだろう。 番組としては「メイン出演者とエースディレクター」を送り込んでいるわけだから、多少内容が薄かろうが、半ば無理矢理だろうが、とにかく彼らに周辺取材を毎日させ、中継をさせなければ現地に派遣した意味がなくなる。だからそれなりの時間を毎日用意することになる。