渡辺恒雄さん死去 10月の「セ・リーグ優勝祝賀会」体調不良で欠席も…「日本一奪回」へ願い
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男睦(むつみ)さん。読売新聞グループ本社が発表した。プロ野球・巨人のオーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問などを歴任し、日本球界の発展に寄与した。 【写真】2005年、握手する長嶋茂雄氏と原辰徳新監督、当時オーナーの渡辺恒雄氏 10月11日には「セ・リーグ優勝祝賀会」が都内のホテルで開かれたが、渡辺さんは体調不良のため欠席していた。山口寿一オーナーが渡辺さんのメッセージを代弁。「阿部監督、選手のみなさん、セ・リーグ優勝おめでとうございます。きょうは会場の皆さんと一緒に喜び合いたかったが、体調が整わず、残念ですが欠席します。巨人軍日本一の祝賀会で皆さまにお会いできますよう、監督選手諸君、もうひとがんばりよろしくお願いします。ご来場のみなさま本日はお越しくださりありがとうございました。日本一奪回に向け、声援をお願いします。渡辺恒雄」とメッセージを送っていた。 渡辺さんは1926年5月30日生まれ、東京都出身。東大文学部卒業後の50年に読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、政治部長、論説委員長などを経て、91年に社長、02年に読売新聞グループ本社の社長・主筆に就任。04年に会長・主筆となった後、16年から現職についた。副社長時代の89年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれ、その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年オーナーに就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界発展の立役者となった。「ナベツネ」のニックネームで知られ、政財界に幅広い人脈を築いた。07年、第54回カンヌ国際広告祭で世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。