渡辺恒雄さん死去 巨人「日本一奪回」の願い届かず…シーズン直前には車いす姿でゲキ「どうも調子が悪い」
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。東京都出身。プロ野球・巨人のオーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問などを歴任し、日本球界の発展に寄与した。今年3月には巨人を応援する財界人関係者でつくる「第32回燦燦(さんさん)会総会」に車いす姿で出席し、日本一への強い思いを語っていた。 【写真】2005年、握手する長嶋茂雄氏と原辰徳新監督、当時オーナーの渡辺恒雄氏 巨人は今年、4年ぶり39度目(1リーグ時代を含めると48度目)のリーグ優勝を果たし、12年ぶりの日本一奪回が期待されていたが、クライマックスシリーズ(CS)でDeNAとの激闘の末に敗退。渡辺さんは10月に行われた「セ・リーグ優勝祝賀会」に寄せたメッセージの中で、日本一奪回を強く願っていた。 「セ・リーグ優勝祝賀会」は体調不良のため欠席していた渡辺さんだが、今シーズンに入る直前の3月に行われた燦燦会総会には車いす姿で登場。「足を痛めておりまして」と語り、阿部監督らに向け「この2、3年どうも巨人軍、調子が悪い。今年こそは優勝し、日本一に向けて頑張っていただきたい」と激励していた。 渡辺さんは1926年5月30日生まれ、東京都出身。東大文学部卒業後の50年に読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、政治部長、論説委員長などを経て、91年に社長、02年に読売新聞グループ本社の社長・主筆に就任。04年に会長・主筆となった後、16年から現職についた。副社長時代の89年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれ、その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年オーナーに就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界発展の立役者となった。「ナベツネ」のニックネームで知られ、政財界に幅広い人脈を築いた。07年、第54回カンヌ国際広告祭で世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。